交通量は超ド級「京葉道路」全通40年 日本初の自動車専用道から激変した千葉の大動脈
開港前から「成田アクセス」担ったが故の課題も
京葉道路は1971(昭和46)年に、東京側で首都高7号小松川線と接続、そこから船橋ICまでは6車線化され、宮野木JCTでは新空港道(現在の東関東道 成田方面)と接続します。
成田空港の開港は1978(昭和53)年ですが、京葉道路はその建設時から、アクセス道路としての役割を担ったのです。ちなみに、首都高湾岸線から京葉道路の南側に並行する東関東道(現・高谷JCT~宮野木JCT)が開通し、東京~千葉の高速道路ルートが二重化されたのは1982(昭和57)年のことです。
こうしたなか京葉道路では、渋滞対策の一環としての付加車線設置(車線増設)をはじめとした各種の改良工事も進められてきました。付加車線設置については現在に至るまで計7回を数え、2020年8月にも、上り線の武石IC~船橋IC間ほか2区間で運用が開始されています。
牛田さんによると、各種の改良工事にあたっては、古い規格の道路を、その時々の設計基準に合わせる形で改良してきたため、常に橋脚や床版(舗装が載る道路の床板部分)の補強が必要となったそうです。しかし重交通路線であるため通行止めは困難。車線規制・低速走行規制により工事を重ねてきたと、京葉道路ならではの苦労を明かします。
また、京葉道路をメンテナンスするうえで長年にわたり悩まされてきた問題が、「過積載車両」です。
京葉道路を経由して都心の建設現場などに土砂を運搬するダンプの中には、40t超の過積載ダンプなども含まれ、こうした車両が繰り返し通過したことで、構造物の傷みが著しく進んだといいます。この影響は、1995(平成7)年から2001(平成13)年にかけて行った昼夜連続の車線規制工事、通称「京葉道路いきいき計画」で対策を施したそうで、現在では定期点検の実施を通じて、必要な補修などを計画的に取り組んでいるとのこと。
このほか、過積載に関する法令の罰則強化や、NEXCO東日本の「車両制限令等違反取締隊」、通称「車限隊」の取締り活動もあって、過積載車両などは大幅に減っているそうです。
コメント