「世界初の実用ジェット機」かと思ったらアァ勘違い! イタリア「カプロニ・カンピーニ」

日本海軍も注目したけど… ぬか喜びに終わった栄冠

 しかし初飛行には成功したものの、モータージェットの出力が計画通りに得られず、圧縮空気を燃焼排出しても最高速度は375km/hに留まりました。さらに悪いことにカンピーニ機が初飛行する1年前に、ドイツが秘密裏にターボジェット式のハインケルHe 178の初飛行に成功したため、のちに世界初の名誉の記録は覆されてしまいます。

 その後カプロニ社とカンピーニ技士は、C.C.2型機をターボジェット化する研究も行い、第2次世界大戦勃発後の1942(昭和17)年には、最高速度750km/h、機関銃や機関砲を4挺搭載した双発の単座ジェット戦闘機まで計画します。しかしエンジン開発が遅れたことで、1943(昭和18)年9月のイタリア休戦により開発プロジェクトは打ち切られました。

Large 201221 c.c.2 03

拡大画像

1941年のミラノ~ローマ間飛行50周年を記念して、1991年にイタリアで発行された官製郵便封筒に印刷されたカプロニ・カンピーニ機(吉川和篤所蔵)。

 なお、旧日本海軍はC.C.2型機と開発中のターボジェットエンジンに興味を抱き、1944(昭和19)年6月には北イタリアの枢軸側R.S.I.(イタリア社会共和国)に残ったカプロニ社とライセンス契約を結びます。設計図などの資料をドイツ海軍の潜水艦「Uボート」で日本に持ち帰ろうとしますが、翌年5月のドイツ降伏により大西洋上でUボートはアメリカ海軍に投降、日本に届くことはありませんでした。

 こうして未来の翼として注目されたイタリアのジェット機開発は、後世に影響を与えることなく終わりを告げます。しかしイタリア国内では第2次世界大戦後もその歴史的な技術を称え、官製の郵便封筒にカンピーニ機の姿が残され、C.C.2型の1機はローマ近郊の航空博物館で、地上試験機もミラノの科学博物館で展示されて栄光なき挑戦の足跡を今に伝えています。

【了】

【貴重】カラー写真に残る当時のC.C.2型機の姿

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。