目指せ東京! WW2イタリア「極秘の大陸横断飛行」見事到着も日本は認めず乗員拘束ナゼ?

改造機完成! 極東目指してローマを離陸

 改造機は、エンジンを110馬力アップしたアルファ・ロメオ128 RC18型(860馬力)に換装し、最大航続距離も8000km以上になるよう大容量燃料タンクや高性能無線機を搭載します。さらに銃座を撤去して胴体も延長して尾翼も再設計する一方、万一に備えて防弾装甲を装備、非公式に「S.M.75RT」(Roma-Tokyo/ローマ~東京)型と呼ばれました。なお機長には、大西洋往復飛行を22回もこなし、長距離飛行の経験が豊富なアントニオ・モスカテッリ空軍中佐が選ばれます。

 また燃費向上のため、同機への積み荷としては無線の乱数表や秘密書類と共に独伊両大使館員への郵便物だけが搭載されますが、不時着時の護身用としてベレッタMAB38短機関銃2挺と弾倉14個も積み込まれました。さらにドイツ亡命中のインド独立指導者、チャンドラ・ボースの同乗も検討されますが、重量増加に伴う技術的な問題や安全面での不安から、これは断念されています。

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通常機と比べて大きな垂直尾翼が目立つ長距離飛行用に改造されたS.M.75GA型。胴体の白帯に描かれた日の丸に注目(吉川和篤作画)。

 1942(昭和17)年6月29日、モスカテッリ機長と搭乗員4名を乗せたS.M.75GA型輸送機は、朝の5時26分にローマのグイドニア飛行場を飛び立ち、8時にベオグラード(ユーゴスラビア)、10時にブカレスト(ルーマニア)上空を通過、14時6分にドイツ軍が占領中のクリミア半島サポロジェに無事着陸しました。

 翌日の6月30日20時6分、約11.5tの燃料を満載したS.M.75GA型は、なんとか離陸に成功すると、ロストフ上空で対空砲火や敵戦闘機に遭遇しながらも夜陰に紛れ、一路東へ飛行します。しかしイタリア側は日本側が提示した1万2000kmにおよぶインド洋ルートには進まず、約半分の6200kmの飛行距離で済むアラル海~バルハシ湖~アルタイ山脈~ゴビ砂漠を抜けるルートを選択。飛行時間21時間14分かけ、7月1日17時20分に内蒙古(内モンゴル)の包頭(パオトウ)飛行場に到着したのでした。

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