快速より普通が混むことも 東京メトロ東西線はなぜ有数の混雑路線になったのか

中野~西船橋間を、東京都心を突っ切るように走る東京メトロ東西線は、なぜ有数の混雑路線になったのでしょうか。路線の持つ性格は、開通直後とその後とで様変わりし、また現在も混雑緩和に向けた取り組みは継続中です。

進む沿線住宅地化 バイパス路線から通勤路線へ

 西船橋と日本橋がわずか20分(快速)で結ばれるようになり、船橋、津田沼地域では急速に住宅開発が進展し、快速の利用者の伸びは予想以上に著しいものとなりました。直通開始から4か月後には比較的混雑率の低い普通列車2本の運行を取りやめ、浮いた車両を分割して快速列車に増結し、混雑緩和を図るほどでした。つまり、東西線の開通効果は沿線外から始まったのです。

 東西線の開通当初、沿線はのどかな田園風景が広がっていましたが、都心直通の利便性が評価され、沿線は瞬く間に住宅地化していきます。東西線が全通した1969(昭和44)年に約140万人だった沿線人口(江東区、江戸川区、浦安市、市川市、船橋市の合計)は、1990(平成2)年には約200万人まで急増し、東西線の利用者数も75.9万人から124.9万人まで増加しました。

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JR(国鉄)総武線も混雑路線のひとつ。2000年代は車両に6扉車も組み込まれ運用された(画像:写真AC)。

 この結果、葛西駅の乗降人員は1969(昭和44)年の1日平均1.4万人から1990(平成2)年には約5倍の7.3万人へ、浦安駅は1.7万人から約4.5倍の7.9万人へ、行徳駅は約4800人から約16.5倍の7.9万人へと爆発的な伸びを見せています。

 沿線在住者の増加に伴い、東西線の輸送内容も徐々に変わっていきます。1970(昭和45)年には、それまで朝ラッシュ時間帯10分間隔だった普通列車を5分間隔に増強し、快速通過駅の利用者増加に対応しました。1986(昭和61)年には浦安以西の各駅に停車する快速列車(現在の通勤快速)を設定。また、沿線住宅地の拡大に対応すべく、1979(昭和54)年に西葛西駅、1981(昭和56)年に南行徳駅、2000(平成12)年に妙典駅が新設されました。70年代から80年代にかけての東西線の利用者増加は、沿線在住者の増加によってもたらされ、東西線はバイパス路線から通勤路線へと性格を変えていったのです。

【写真】東西線直通用 国鉄初のオールアルミ車体「301系」

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コメント

2件のコメント

  1. 西船橋からの運賃(特に定期)をあげたらどうですか。総武線もかなり混んでいる方だけど。

  2. 昔は7両編成と10両編成混在の時期がありました。10両編成が発射したあと、7両変成の列車が到着すると、10両分で待ち構えていた乗客が7両分に圧縮されて乗り込むので特に先頭車や最後尾は大変な混雑でした。

    それと、葛西-西船橋の地上区間では陽当たりがよく、冷房のない車両では大変酷でした。その際、握り棒などが、火傷しそうなくらい熱くなっており混雑で押しつけられると大変苦痛でした。いまは随分ましになりましたが。

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