超異例「国が名付けた人名由来の駅」川崎に 私鉄由来の駅には数あれど…その人物とは?
津田の功績は称賛に値するものだった?
東急電鉄の社史『東京急行電鉄50年史』では、同社が合併した池上電気鉄道(現・東急池上線)や玉川電気鉄道の旧経営者を、「消極的経営」「他力本願」「ほとんど無策」など容赦なく批判しているのですが、津田に対してだけはユニークな経営ぶりを賞賛し、敵ながらあっぱれという感じで評価しています。
津田興二が立派だったため、南武鉄道が国有化される時、鉄道省の担当官僚がその功績を認めあえて津田山駅と改称した――もちろん断定はできませんが、こうした過去を振り返ると、例外中の例外の命名も、筆者(内田宗治:フリーライター)はなんだか納得できる気がしてきます。
ただ同線が国有化された時期は、太平洋戦争の戦況が悪化の一途をたどっており、駅名の慣例などにこだわるどころではなかったのかもしれません。工場が空襲の標的にされることが懸念されはじめた時期で、工場が近くにあることを示す駅名だったことが、駅名改称の最大の理由でしょう。同線の日本電気前駅も向河原駅(川崎市中原区)に、グラウンド前駅も武蔵小杉駅(同)へと改称されています。
津田山駅前にあった工場(現・日本ヒューム)は現在移転していて、その跡地は大規模スポーツ施設やスーパーマーケットなどになっています。駅北側の丘、津田山へと向かうにつれ閑静な住宅地が広がります。頂上近くには津田山公園があり、そこには津田興二の頌徳碑が建てられています。
津田山駅は2019年に北口、2020年に南口の橋上駅舎が完成し、装いも新たになりました。一見新しい駅に見えますが、歴史を知って津田山駅に降り立つと、また違った印象を抱くことでしょう。
【了】
Writer: 内田宗治(フリーライター)
フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。
津田某が著しく国家に貢献した、ということなら特例というのはわかるが、
単に宅地開発だけなら、ただ地名から付けただけでは?
大戦末期で混乱していたとか、こじつけが過ぎるのでは?
だったら五島だの堤だのって駅がそこらにあってもおかしくないでしょう。
単なる妄想。
確かにこれはあくまでも2段階由来に過ぎませんね、艦艇の名前に人名を採用しない慣例が有る海上自衛隊の砕氷船「しらせ」みたいな感じでしょうか。