時代遅れでも“名機” 史上最強の複葉機イタリア「CR.42」エース続々輩出の輝かしい戦果
高性能じゃなくとも使いやすいのが「名機」の秘訣
しかし1941(昭和16)年に入るとイギリス戦闘機隊は、この運動性能は良くても低速な複葉機CR.42との空戦方法について研究したことで、逆にイタリア側の損害が急増するようになります。この影響で、生き残ったCR.42型は爆弾ラックを増設した地上攻撃機へと転用されるようになりました。また、黒い夜間迷彩をまとった夜間戦闘機(CN)型も開発され、こちらは1943(昭和18)年9月のイタリア休戦まで地道にイギリス軍爆撃機の撃墜を続けています。
フィアットCR.42型は、一見すると時代遅れな外見ながらも、驚くべきことに撃墜数が5機を超えるエースを、第2次世界大戦中に9人も生み出しています。
これは本機が、旧式とはいえ基本性能が高かったことを証明するものといえるでしょう。凡庸な性能ゆえに乗り手を選ばなかったことで、大戦終結まで使用された本機の生産数は複葉戦闘機としては異例の1780機に達しました。そして生き残った機体は、1950年代まで練習機として使用され、その生涯を全うしたのでした。
【了】
Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)
1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。
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