戦前の幻「第二山手線」の痕跡が“明大前だけ”に残っているワケ 井の頭線の妙に長い橋の秘密

上水道と鉄道のクロスはほかの場所にも

 玉川上水には、井の頭線建設の昭和初期、東京市民約200万人の水のために、毎秒約3トンの水が流されていました。万一、その下を通る鉄道工事で玉川上水の水路を破損しようものなら、市民は水不足に陥り大事件となります。そのためこの部分の工事の許可は厳密だったことでしょう。そのようなわけで井の頭線建設時に工事を行い、再び東京山手急行線で追加の工事とはせず、とりあえずここだけは両線あわせて一気につくってしまったと想像できます。

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明大前駅付近、人道橋の歩道部分。傍らに草に覆われた鉄管(旧玉川上水)が通る(2022年6月、内田宗治撮影)。

 江戸時代の最大の土木工事といえば、用水路の建設です。明治時代のそれはといえば鉄道建設です(いずれも軍事関係のものを除く)。そのふたつが出会う地点は、まさに特別な場所といえます。そうした地点には、気になる施設がつくられた例が多くあります。

 たとえば、玉川上水とJR中央線は三鷹駅のホーム下で斜めにクロスしていますが、現在もそのホーム下には、外から見えないものの開業当初の煉瓦アーチ橋が眠っています。ほかにも、かつて中央線の四ツ谷駅のホーム先(市ケ谷寄り)には、長さ26mの四谷トンネルがありましたが、これも玉川上水終点の四谷大木戸から江戸城内などへ向かう水道幹線の樋が通る土橋を、壊さずにトンネルにしたものでした。ちなみに現在の御所トンネル(信濃町~四ツ谷)とは別物です。

 東京山手急行線の遺構が、玉川上水の下という特別な場所にだけ存在するのも、こうしてみると偶然とはいえない気がしてきます。

【了】

【計画地図】東京山手急行電鉄のルート

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Writer: 内田宗治(フリーライター)

フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。

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