副都心線で終了だったはずでは… なぜ東京メトロは新線整備に動き出したのか
バブル経済で社会問題化した通勤ラッシュ
では1986年時点の営団地下鉄の路線網はどのようなものだったか見てみると、銀座線、丸ノ内線、日比谷線、東西線、千代田線の計5路線が全線開業しており、有楽町線は営団成増(現・地下鉄成増)~新富町間のみ、半蔵門線は渋谷~半蔵門間のみの開業です。両線ともにその後延伸しますが、当時、半蔵門線は水天宮前駅までで「全線開業」とされていました。
そのほか、南北線は駒込~赤羽岩淵間の建設に着手したばかりで、半蔵門線も水天宮前~押上間の延伸は前年に構想が浮上したばかり。副都心線は建設免許が得られていない状況でした。つまり、この時点で想定された「地下鉄ネットワークの概成」とは南北線までだったことが分かります。
ところがバブル経済の影響で鉄道利用者が急増し、通勤路線の混雑が問題化すると、もっと営団に新線建設をさせた方がいいのではないかという議論が高まります。建設を縮小する方針から一転して、国も地下鉄建設に対する補助制度を拡充するなど、建設続行の機運が高まります。
バブル崩壊後、地下鉄整備は景気浮揚策としての側面が強くなっていきます。半蔵門線の押上延伸は1993(平成5)年4月に宮澤喜一内閣が策定した「総合経済対策」に、副都心線は1998(平成10)年、前年に発生したアジア通貨危機を受けて小渕恵三内閣が策定した「緊急経済対策」にそれぞれ盛り込まれ、建設は続行されました。
当初の計画では1986年の5年後、つまり1991(平成3)年の特殊会社化を予定していましたが、「ネットワークの概成」の目途が付くまで延期されます。最終的に2001(平成13)年に小泉純一郎内閣が閣議決定した「特殊法人等整理合理化計画」で、半蔵門線押上延伸開業から概ね1年後に民営化する方針が決定。そして予定通り2003(平成15)年3月の開業から1年後の2004(平成16)年4月、営団は特殊会社化されます。
冒頭に記したメトロの方針はこうした経緯に基づくものであり、本来であれば副都心線開業後、速やかに完全民営化がなされるはずでした。ところがそれを阻んだのが2009(平成21)年以降、石原慎太郎東京都知事のもとで副知事を務め、次いで都知事に就任する猪瀬直樹氏の「地下鉄一元化論」でした。
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