相鉄・東急~「三田線」直通が本命? 60年前の構想からの紆余曲折 ついに叶う

三田線は東急田園都市線や東武東上線との直通を目指していた

 とはいえ相鉄線は横浜駅で乗り換えれば東京方面に出られる上、JRは「利用状況を見極める」としながらも「接続する横須賀線などの運行が高頻度で、設備上、多方面へ向かう運行本数の確保が困難」としており、JR横須賀線を介した東京方面直通列車の設定は当面、困難といえそうです。

 そうなると東京方面行きの代替手段となるのが三田線です。品川は通りませんが、目黒から三田(田町)、内幸町(新橋)、日比谷(有楽町)、大手町(東京駅)とJR東海道線に平行して走ります。JR各駅西側のオフィスに通勤する人であれば選択肢になるかもしれません。

 さて、そんな三田線ですが、神奈川県方面からの直通運転形態が現在の形に固まるまでは紆余曲折がありました。

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6号線には、東武東上線と東急池上線へ乗り入れる計画があった(「都市交通審議会第10号答申」を参考に枝久保達也作成)。

 三田線は元々、1962(昭和37)年の「都市交通審議会答申第6号」で、西馬込から五反田・田町・日比谷・巣鴨を経由して志村に至る「6号線」として策定されました。この時に1号線(浅草線)の西馬込~田町間が6号線に付け替えられますが、6号線は標準軌(線路幅1435mm)で建設される予定だったので、馬込車両基地を1号線と共有する計画でした。

 ところが1964(昭和39)年に東武東上線と東急池上線との直通運転が決定したため、6号線は狭軌(1067mm)で建設することになりました。西馬込~泉岳寺間は再び1号線に戻され、東武が和光市~志村(現・高島平)間、東京都が志村~泉岳寺間、東急が泉岳寺~桐ケ谷間を建設し、旗の台から現在の東急大井町線経由で田園都市線に直通する構想でした。

 しかし翌年、東急は突如、6号線との直通は採算が取れないとして建設を拒否。田園都市線は11号線(半蔵門線)との相互直通運転を目指すことになりました。続いて東武も直通先を6号線から8号線(有楽町線)に変更し、6号線との直通計画を破棄します。6号線は1号線と直通できない狭軌の線路のみを残して取り残されてしまったのです。

【写真】港北ニュータウンを目指した三田線 確保されていた線路用地とは

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