相鉄・東急~「三田線」直通が本命? 60年前の構想からの紆余曲折 ついに叶う

救いの手「神奈川東部方面線」

 行き場を失った6号線ですが、1972(昭和47)年の「都市交通審議会答申第15号」で新たな方針が示されます。三田から白金高輪、目黒を経由して横浜市の港北ニュータウンに延伸する構想です。

 これに先行して1966(昭和41)年、「都市交通審議会答申第9号」は横浜周辺の鉄道整備計画を策定しており、そのひとつに茅ケ崎を起点に六会(現・六会日大前)、二俣川、港北ニュータウンを経て東京方面に向かう路線が挙げられていました。6号線はこの路線の接続先として選ばれたのです。

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相鉄線から羽沢横浜国大、新横浜方面へ分岐する西谷駅付近。建設中の様子(2016年12月、恵 知仁撮影)。

 この路線は「神奈川東部方面線」と呼ばれるようになりますが、直後にオイルショックが発生したことで都心方面の計画はストップしてしまい、東部方面線の一部である二俣川~湘南台間のみが相鉄いずみ野線として開業しました。

 1980年代に入ると、東部方面線は二俣川から新横浜を経て大倉山から東急線に直通する路線として整理され、その一方で建設費を節約するために、東海道貨物線の羽沢駅に接続し都心方面に直通する構想が浮上します。結果的に前者が東急・相鉄新横浜線、後者が2019年11月に開業した相鉄・JR直通線として結実します。

 他方、1985(昭和60)年の「運輸政策審議会答申第7号」は、東横線の複々線化と目蒲線の改良により、東部方面線は目黒から地下鉄南北線に直通することを盛り込みます。また6号線も三田~清正公前(現・白金高輪)間を延伸し、目黒まで南北線と共有して東急線に乗り入れる構想を提示しました。

 当初、東横線は多摩川~大倉山間を複々線化し、大倉山で東部方面線と接続する計画でしたが、複々線化区間は日吉までに短縮されたため、日吉から(綱島駅と同一駅扱いの)新綱島を経由して新横浜に至る路線として整備されました。

 こうして50年の時を経て、神奈川東部方面線と都営三田線が結ばれたというわけです。様々な歴史を背負い、JRとあわせて4つの方面に分かれる前代未聞の相互直通運転。一体どうなるのか、開業が楽しみです。

【了】

【写真】港北ニュータウンを目指した三田線 確保されていた線路用地とは

Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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