奇跡の動態復活「マイテ49形」 花形特急だったウラで連合軍の注文とは 1等展望車の生涯

2号車のみ奇跡の復活

 スイテ49形は連合軍の要求で大改造されます。1号車は、旧1等室の部分に寝台と冷蔵庫、コンロ、トイレが設置されました。連合国はこの改装に満足せず、開放寝台を2人用と4人用の個室寝台に変更、シャワー室も設置します。

 しかしスイテ49形2号車は1949(昭和24)年に国鉄に返還されると、原型に戻した上で特急「はと」「つばめ」用に。その後、冷房化で車体重量が増したため1953(昭和28)年に「マイテ49形」へ改められます。1960(昭和35)年5月まで使われた後、廃車され交通科学博物館(大阪市港区)で保存されました。

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マイテ49形の展望デッキ(2022年10月、安藤昌季撮影)。

 なお1958(昭和33)年の時刻表によれば、特急1等展望車で東京~大阪間を旅するのに7640円が必要でした。同区間を3等の普通列車で移動すれば990円ですから、約7.7倍の代金が必要ということです。2022年現在、東京~新函館北斗間を普通列車で移動すると1万2100円で、新幹線のグランクラスを利用した場合は約3.4倍の4万680円と考えると、とてつもない特別車両でした。

 一方、2両のマイテ49形のうち保存されなかった1号車は、連合軍からの返還後、車内の蛍光灯化、冷房取り付け、1等室の1人掛けリクライニングシート化がなされ、1963(昭和38)年まで外国人向け観光列車などで活躍しました。このまま廃車になると思われたマイテ49形でしたが、1987(昭和62)年に国鉄が分割民営化しJRになった際、イベント用車両として現役復帰。琵琶湖を回るレストラン列車や、「SLやまぐち」号のフリースペース車両として活躍し、2009(平成21)年以降は運行されなくなり、現在に至ります。

 2号車は2017年に全般検査を行っているので、2025年ごろまで走れるようにも思います。現役で走れる貴重な1等展望車の活躍を、今後も期待したいところです。

【了】

【写真】マイテ49形の車内を見る

テーマ特集「【鉄道特集】往年の名車、活躍中のエース どんな車両? 国鉄時代の思い出も」へ

Writer: 安藤昌季(乗りものライター)

ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。

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コメント

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5件のコメント

  1. 「マイテ49」は1両しか残っていません。 「実はもう1両残っている」という小見出しは2両のマイテ49が現存しているような誤解を招きます。マイテ49の1号車は昭和39年に廃車されているようで現存しません。 11段落目の書きぶりは、廃車されている1号車が現役復帰して「現在にいたる」かのように受け取れます。同じ展望車として別形式の「マイテ39」ならさいたまの博物館にありますが、この記事は「マイテ49」についてのエピソードしか触れられていないようなので、「マイテ49」が「もう1両残っている」とはならないと思います。 プロのライターさんがそれなりの場で公表されているものですので、誤解を招かないような書き方をしていただきたいです。

  2. 蛇足ですが、京都鉄道博物館への収蔵にあたって車籍を抹消したようなので、ひとまず本線走行の可能性はなくなったと思われます。
    尤も、この車両は過去にも一度車籍を廃して旧交通科学博物館に展示されたのちに、JR誕生を記念して再整備し本線復活を遂げていますから可能性はゼロではないですね。
    しかも、今の梅小路なら本線に繋がっていますし、車検を通すための工場も真横にありますから。

  3. 他の人も書いていますが、マイテ49は2しか残っていません。1は廃車解体済み。
    国鉄民営化に復活したのは、弁天町交通科学館に保存されていた2です。
    ライターならちゃんと調べて書いて下さい。

  4. 文章がおかしいですね。
    まいて491は昭和39年に廃車されており「SLやまぐち」号等には使用されていません。
    もし最近まで1号車があったという話が出てきたら大変なことになりますが・・・

  5. ほんと、「もう1両残っている」ってどこに残っているのでしょうね?
    文章自体もわかりにくいし。