ディーゼル機関車?弱すぎる 世界最強「ガスタービン機関車」が短命だった理由 パワーはバケモノ級

開発にはジェットエンジン企業が参画

 第2次世界大戦後、各国の鉄道会社は蒸気機関車からディーゼル機関車へ転換を進めますが、UPはディーゼル機関車よりも強力なガスタービン機関車の導入に踏み切りました。なお、厳密にいうと、ガスタービン機関車には、機械式伝達装置を用いたものと、電気式伝達装置を用いたものの2種類が存在します。UPが保有していたのは、全て後者であり、電気式ガスタービンと呼ばれる、ガスタービン・エンジンで発電機を駆動し、発生した電力でモーターを回して走る構造の機関車でした。

 ガスタービン・エンジンは、航空機の動力源であるジェットエンジンやターボプロップ・エンジンと原理は一緒です。UPで使用された最初のガスタービン機関車となったNo.50は、ジェットエンジンで有名なGE(ゼネラル・エレクトリック)社と、機関車の大手製造会社だったアルコ社(ALCO:旧アメリカン・ロコモ―ディブ社)が、共同で製作しました。

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ガスタービン機関車26号「Aユニット」部分の台車(細谷泰正撮影)。

 試作機に相当するNo.50は、出力4500馬力のタービン・エンジンを搭載して1948年に登場しています。UPで入念に試験が行われた後、第1世代と呼ばれるNo.51からNo.60の10両がGEに発注され、1952年に納入されました。このグループはNo.50と同じ4500馬力のガスタービン・エンジンを搭載し8軸の動輪を駆動して走りました。

 同時期に造られていたディーゼル機関車の出力が1600馬力から2000馬力だったので、ガスタービン機関車はその2倍から3倍の出力を持っていたことになります。ただガスタービンにも欠点がありました。それは燃費の悪さでした。同じ出力のディーゼル機関車と比べ約2倍の燃料消費量でしたが、ガスタービン機関車は当時安価だった重油を使用していたため、燃料代は問題視されることはなかったようです。

 UPはその後、1954年にさらに15両を発注、これらはNo.61からNo.75として完成しました。これらが第2世代と呼ばれるグループです。性能は第1世代グループと変わらなかったものの、車体の形状が異なっていました。

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