孤立集落へ救援物資を「空中投下」実際やっていた自衛隊 なぜやらなくなった? それは60年前の話
なぜ被災地への物料投下やらなくなった?
このように、昭和30年代は何度か航空自衛隊のC-46によって被災地への物料投下が行われています。では、なぜその後、行われなくなったのでしょうか。
筆者(リタイ屋の梅:メカミリイラストレーター)が思うに、当時はまだヘリコプターの性能が低く、自治体の救援体制も道路網の整備も進んでいなかったからこそ、このような方法を取らざるを得なかったのではないでしょうか。
またC-46による空中投下の事例は、ほぼすべて飛行場などの広大なスペースに投下しています。気象条件が悪かったという記録もありません。
それに対し今回の令和6年能登半島地震は、被災地は山がちな地形で開けた平地が少なく、気象状況についても冬の日本海側特有の悪天候という条件が重なっています。
加えて、自衛隊の装備やノウハウも当時とは比べ物にならないほど強化・向上しています。たとえば、車両を機内へ搭載可能な大型の輸送ヘリコプターCH-47J「チヌーク」を約60機も運用するなど、空中投下せずとも物資を被災地・被災者へ届けることが可能です。
こうして見てみると、物料投下などが実施されないのには、相応の「理由」があると言えるでしょう。
筆者としては、被災された多くの皆さまに一刻も早く救いの手が差し伸べられるよう強く願うとともに、その方法については関係機関の調整と判断に託そうと思います。
【了】
※誤字を修正しました(1月14日11時15分)
Writer: リタイ屋の梅(メカミリイラストレーター)
1967年生まれ。「昭和30~40年代の自衛隊と日本の民間航空」を中心に、ミリタリーと乗りもののイラスト解説同人誌を描き続ける。戦後日本史も研究中。
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