日本の海にウヨウヨ…“機雷”と戦った旧海軍の戦後 海自のルーツ「掃海」のリアル そこに『ゴジラ』!?

機雷は2種類に大別

 しかも、機雷は日本の復興への障害となるだけでなく、アジアと太平洋の各地に散らばって残置されていた将兵の復員や民間人の引き揚げにも大きな影響を与えます。そのため、機雷の除去は日米双方にとって喫緊の課題になりました。実際、前出の「浮島丸」には朝鮮半島へ戻る朝鮮人労働者が、「珠丸」には大陸から引き揚げてきた人たちが乗っていました。

 アメリカ軍は連合国軍最高司令部、いわゆるGHQの一般命令第一号などに基づき、日本側が掃海作業を実施するよう命じます。これにより、日本側は終戦から1か月後の1945年9月18日、海軍省軍務局の中に掃海部を設置しました。

 また、これと並行して各地方に置かれていた鎮守府(横須賀、呉、佐世保)と警備府(大阪、大湊)で、さっそく掃海作業をスタートさせます。これら現場では、大戦を生き抜いた海防艦や駆潜特務艇、哨戒特務艇、徴用漁船など計348隻もの船艇などを用いて掃海作業を行っており、正式に降伏文書が調印され、アメリカやイギリスといった連合国の占領が始まった後も任務は続けられたのです。

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海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」で展示されている係維機雷(柘植優介撮影)。

 ただ、ひとくちに掃海作業といっても、相手は無人の爆発物。しかも機雷の種類によってやり方が異なるなど一筋縄ではいかないものでした。

 機雷は大別すると、「係維機雷」と「感応機雷」の2種類に分けられます。

 係維機雷は海底に重りが置かれ、そこから延びる係維索(ワイヤーロープ)に繋がれた機雷缶が海中を浮遊するという構造です。機雷缶には爆薬が詰まっており、触角に船底が当たると起爆する仕組みになっています。

 処分するためには、まず係維索を切断し、機雷缶を海面へと浮上させ、そのうえで銃撃を加えるなどして爆破するのが一般的でした。そのため、旧日本海軍では、喫水が浅い2隻の艦艇が対となって水中に落とした掃海索を曳航し、これによって係維索を切断するか、もしくは1隻だけでも係維索の切断が可能な単艦式大掃海具と呼ばれるものを使用するのが一般的でした。

【でっけぇ!!】これが機雷の大きさです。実物を写真で見る

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