日本の海にウヨウヨ…“機雷”と戦った旧海軍の戦後 海自のルーツ「掃海」のリアル そこに『ゴジラ』!?
組織が廃止されても連綿と残存
実際、1945年から1952年までの間に航路啓開業務に従事して殉職した掃海関係員は78人もいたとか。ここからも、いかに掃海作業が過酷だったか伺い知ることができるでしょう。なお、1950年に起きた朝鮮戦争では、元山や仁川、釜山などといった朝鮮各地の重要港湾に漂う機雷を掃海するため、アメリカ軍の要請を受けて特別掃海隊が派遣されています。ただ、この派遣で2隻が沈没し1人が殉職しました。
一方で掃海部隊の働きぶりにアメリカ海軍も注目したことで、「海軍再建」の核へとなっていきます。1945年11月30日に海軍省が廃止され日本海軍が消滅した後も、掃海部隊は旧海軍軍人によって残り続け、補給や修繕も旧海軍施設が引き続き使われました。
その後、旧海軍省は第2復員省、復員省、復員庁へと姿を変え、さらに運輸省、海上保安庁の一部門へと再編縮小が行われますが、そのように組織が移り変わる中でも、掃海の進展や公職追放によって規模の縮小こそ続いたものの、海上警備隊の誕生に至るまで田村久三元大佐(当時)ら旧海軍将校が残って指導的な役割を果たしています。
結果、日本周辺海域の安全保障を担う組織として1952年8月に保安庁警備隊が創設されると、掃海関係の船艇88隻と人員1699人が海上保安庁から警備隊へ移管され、現代の海上自衛隊掃海隊群へ続く素地が形作られました。
今の掃海隊群は機雷戦だけでなく、島嶼部への着上陸を実施する水陸両用戦も担っています。そのため掃海母艦や掃海艦艇だけでなく、大型のおおすみ型輸送艦や最新鋭のもがみ型護衛艦も配備されました。
実は、『ゴジラ-1.0』で描かれていた掃海作業というのは、ボロ船に乗って危険と隣合わせの地味な任務であったものの、今日の海上自衛隊へとつながる重要な役割を担っていたと言えるのです。
ひょっとしたら主人公の敷島浩一を始め掃海艇に乗り組んでいた登場人物らの何人かは、「ゴジラ」との戦いの後、保安庁警備隊へ入り、海上自衛官になった可能性も無きにしもあらず、なのではないでしょうか。
【了】
Writer: 深水千翔(海事ライター)
1988年生まれ。大学卒業後、防衛専門紙を経て日本海事新聞社の記者として造船所や舶用メーカー、防衛関連の取材を担当。現在はフリーランスの記者として活動中。
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