「何がホントの目的だったの?」初期の用途とかけ離れて“案外よかった”軍用機3選

爆撃機相手ならできるよね? 夜間戦闘機に転身した「屠龍」

 1941年9月に試作1号機が完成した二式複座戦闘機「屠龍」は、欧州での双発戦闘機の人気に触発されて川崎航空機が開発した旧日本陸軍の双発戦闘機でした。

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二式複座戦闘機「屠龍」(画像:パブリックドメイン)。

 しかし、太平洋戦争が始まった後の1942年に制式採用となった同機は、世界中の多くの双発戦闘機と同様、機動性などの問題で正面きっての単発戦闘機との戦闘は困難と判断され、早々に後方へ下げられてしまいます。

 しかし、そこで同機の役目は終わりませんでした。B-29が本土に飛来するようになると、エンジンを2基搭載したことによる上昇力の高さ、機首の37mm機関砲や20mm機関砲、さらに大型爆撃機相手の戦訓で取り付けられた、胴体から斜め上に伸びる20mm斜め銃が有効だと判断され、夜間に侵入してくる爆撃機相手の夜間戦闘機として脚光を浴びることになります。

「屠龍」がB-29を相手にする場合、機体レーダーが未搭載だったため、地上からサーチライトや高射砲の支援を得るには無線電話による緊密な協同体制を作ることが重要でした。それらの情報を処理しつつ、B-29に肉薄して攻撃する必要性もあるため、かなり錬度の高い操縦員が求められました。

 それでも、当時の操縦員たちはB-29と戦い、中には故意に敵へ機体をぶつけて直前直後に脱出する「エアラミング」と呼ばれる戦法で戦果をあげた部隊もありました。

最後は自ら爆弾となり飛んだ爆撃機「Ju88」

 同機は、ナチスドイツが再軍備宣言をした1935年に、「800kg以上の爆弾を搭載でき、戦闘機より速い爆撃機」という要求仕様に応える形で、航空機やエンジンのメーカーであるユンカースが開発を手掛けた双発爆撃機です。開発中にスペイン内戦が起きると、急降下爆撃能力も要求され、それを満たしたうえで配備されています。

 Ju88は、第二次世界大戦中の1940年7月から翌年5月まで続いたイギリス本土空中戦、いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」のさなかに、Ju88はHe111に代わる形で主力爆撃機を務めました。

 しかし、1943年頃から戦況の悪化に伴い、同機には当初想定していなかった数々の任務が求められることになります。

 まず、爆撃機としては珍しく軽快な点を活かし、一撃離脱専用の戦闘機として使われます。ただ、ほかの純粋な戦闘機の方が性能は良く、昼間にJu88は使えないと結論付けられ、最終的には偵察機や夜間戦闘機として使うことで落ち着きます。

 同機は「屠龍」と違い機体にレーダーも装備しており、夜間戦闘機としてはかなり優れていました。それまで主力であったBf110の生産機数を、大戦末期には追い抜いてしまうほど重宝されることになります。

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ユンカース Ju88(画像:ドイツ連邦公文書館)。

 さらに、大戦末期には「ミステル」という、コクピット部分を大型爆弾に換装したミサイルのような兵器にもされてしまいます。Ju88を爆弾化した「ミステル」は、1.8トンの弾頭を搭載した無人航空機で、有人のBf109やFw190などの戦闘機に連結された状態で飛ばされ、無人機を分離・突入させるという計画でしたが、ドイツの敗色濃厚な時期に登場したため目立った戦果をあげることはありませんでした。

【了】

【雑に合体させただけ!?】これが、航空機型爆弾「ミステル」と化したJu88です(写真)

Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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