皇居を避けた? 半蔵門線の不自然な「Ω」ルートの真相 実はあった「皇居ぶち抜き地下鉄プラン」

東京メトロ半蔵門線は永田町~大手町間で「Ω」のようなルートを取り、あたかも皇居を避けるかのような線形です。直線で、つまり最短ルートで両駅を結べばよさそうですが、そうならなかった理由は何でしょうか。

建設の順序では後発の半蔵門線

 永田町駅を発車後、半蔵門駅に向けて左にカーブしていく東京メトロ半蔵門線。このまままっすぐ大手町駅に行ってくれればいいのに――と思った人は多いのではないでしょうか。
 
 別駅ながら乗換駅に指定されている赤坂見附駅を含めれば5路線が乗り入れる永田町駅で、半蔵門線ホームはとりわけ深い地下36mに位置していることもあって、半蔵門線には様々な都市伝説があるそうです。

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東京メトロ半蔵門線の電車(伊藤真悟撮影)。

 曰く「半蔵門線は皇居の下を通過するために永田町駅を地下深くにつくったが、認められずに急カーブで迂回した」とか、「永田町駅の半蔵門線ホームと南北線ホームの空間には有事に備えたシェルターがあり、秘密トンネルで皇居と接続している」などなど。外から見ることのできない地下空間というのは想像力を掻き立てるのでしょう。

 これらは荒唐無稽なファンタジーだとしても、半蔵門線のルートに不自然さがあるのは事実です。どのような経緯で、こうした線形になったのでしょうか。

 地下鉄には路線名と別に計画時の番号が割り振られており、半蔵門線は11号線です。東京の地下鉄整備計画は1925(大正14)年の5路線に始まりますが、1962(昭和37)年に6号線から10号線までの5路線、1968(昭和43)年に11号線と12号線(後の大江戸線)、1972(昭和47)年に13号線(後の副都心線)が追加されました。

 半蔵門線(渋谷~青山一丁目)は1978(昭和53)年8月1日、9番目の地下鉄新線として開業しました。これより後に開業したのは都営新宿線、大江戸線、東京メトロ南北線、副都心線ですから、建設の順序を見ても、半蔵門線が後発だったことが分かるでしょう。

 順番にこだわるのは、これが地下鉄の性格を決定する大きな要因になるからです。

【路線図】戦前にあった「皇居ぶち抜き地下鉄プラン」 どこからどこを結ぶ!?

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