なぜ「人間誘導のミサイル」開発に至ったのか 埼玉に残る特攻兵器「桜花」完全レストアされた姿
わずか半年で実機の量産へ
では、修武台記念館に展示されている「桜花」とは、いったいどのような航空機なのでしょうか。
「桜花」は、前述したとおり太平洋戦争の末期に日本海軍で開発された特攻専用機です。「桜花」を開発する前に、日本では「イ号一型甲無線誘導弾」と呼ばれるロケット推進式の誘導爆弾、今でいう空対地ミサイルのようなものが陸軍の手によって研究されていました。
「イ号一型甲無線誘導弾」が開発されたのは太平洋戦争後半、1944(昭和19)年10月のこと。同機は目標近くまで爆撃機(母機)などに搭載されて運ばれると、空中で母機から切り離された後、ロケット推進で目標へと進んでいくというものでした。
しかし、「イ号一型甲無線誘導弾」はジャイロ安定装置や無線誘導装置の不調で結局、完成せずに終わります。しかし、終戦まで研究が続けられて次の「一型乙無線誘導弾」は実用化に至ったと伝えられます。また、赤外線自動追尾式の「ケ号爆弾」や音響追尾式の誘導弾も開発が進められていました。
一方、当時の同盟国ドイツに目を転じると、やはり日本と同様に爆撃機で運ばれ、ロケット推進で敵艦に突入する誘導爆弾が開発されています。ドイツでの開発は日本より先行しており、ヘンシェル「Hs 293」と名付けられたこの誘導爆弾は1943(昭和18)年に実戦投入されています。
さらにドイツは、推進装置のない滑空タイプの無線誘導爆弾「フリッツX」も開発。こちらも大戦中旬以降に実戦投入されており、1943(昭和18)年9月には休戦後に米英側についたイタリア海軍の戦艦「ローマ」を撃沈する大戦果を挙げています。
他にもドイツでは、現代の巡航ミサイルの始祖ともいえる兵器「V-1号」を世界で初めて実用化しており、その情報も日本には比較的早い段階でもたらされていたようです。
こうした海外の新兵器情報や陸軍の動きは、とうぜん日本海軍もつかんでいました。海軍は、1944(昭和19)年頃にはロケット推進の無線誘導式爆弾、いわゆる地対艦ミサイルのような兵器を独自に研究し始めます。
しかし、伝わってくる陸軍側の誘導弾開発の遅延や、同年6月のマリアナ沖海戦での大敗を始めとした戦局の急速な悪化などから、無線誘導式では実戦投入が遅れると判断。結果、人間が操縦して目標まで誘導する方式、すなわち特攻兵器の開発へとシフトしたのです。
こうして、1944(昭和19)年8月から「マルダイ部品」との秘匿名称で、有人特攻兵器の試作研究が始まります。わずか2週間という短期間で設計を終えて開発された「桜花」は、機首に1200kgの弾頭(徹甲爆弾)を搭載して火薬推進式の固体ロケットエンジンで飛行する、木製主翼の有人特攻兵器として完成しました。
加えて、同機は双発の一式陸上攻撃機(一式陸攻)の胴体下部に吊られて目標近くまで運ばれるため、着陸装置はなく脱出装置もありませんでした。
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