15年前まで走ってた!? 高速鉄道の元祖「0系」は何がスゴかったのか 世界も味方につけた新幹線

ビデオスクリーン搭載車が登場

 1981(昭和56)年から製造された2000番台では、普通車座席が簡易リクライニングシートとなりました。背面テーブルも備わり快適でしたが、3人掛け座席の向きが変えられなくなり、客室中心で背中合わせの集団離反式に配置されたことで、不評でした。グリーン車も背面テーブルの付いた新型座席となっています。

 0系新幹線は1984(昭和59)年まで、36次3216両も製造され、現在でも新幹線で最多両数です。この時期の0系は全て16両編成でしたが、国鉄末期の1985(昭和60)年に6両編成が登場します。

 この5・6号車にはビデオスクリーンが備えられました。また、JR東海となった1987(昭和62)年より、「こだま」指定席の一部を2+2列座席に交換しています。JR西日本も1988(昭和63)年より、一部の0系を2+2列普通車とし、ビュフェや映画館のようなシネマカー(一部)も連結し、新大阪~博多間の「ウェストひかり」に投入しています。

 そして1986(昭和61)年に、最高速度が220km/hに向上しました。ATC(自動列車制御装置)が作動する速度は225km/hなので、それまでより15km/h向上したわけです。さらに1992(平成4)には起動加速度を1.0km/h/sから1.2km/h/sへと向上させ、加速力を増しています。

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リニア・鉄道館に保存されている2000番台。背面テーブルが備わった(安藤昌季撮影)。

 0系は後継の100系・300系電車に置き換えられ、2000(平成12)年に東海道新幹線から撤退。JR西日本からも2009(平成21)年に引退しました。

 世界初の高速鉄道車両として各地に保存車がありますが、世界的にも評価されており、22形141号がイギリス・ヨークの国立鉄道博物館に保存されているほか、台湾の台南駅前でも21形5035号が展示されています。

【了】

北朝鮮に「こだま型」!? 日本っぽいスタイルの車両(写真)

Writer: 安藤昌季(乗りものライター)

ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。

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