もし戦艦「大和」やめてたら? 海に消えた“国家予算の約1割”で一体なにを作れたのか

そもそも戦争を回避できた可能性も

 東亜丸型は1933(昭和8)年で1隻250万円ですから、1937年なら物価の上昇を加味しても315万円程度でしょう。建造施設を考えなければ86隻が建造できます。1万トン級の高速油槽船が多数存在することで、太平洋戦争開戦前に大量の石油を輸入・備蓄できたと考えられます。

 石油に余裕があれば、強引な南方侵略でアメリカと対立することなく、ドイツが負けそうになるまで第二次世界大戦を傍観できた可能性がありますので、参戦を避けられる、意味ある投資だったかもしれません。不幸にも戦争になった場合でも、少なくとも「石油がないから艦隊が動かせない」という史実の事態だけは避けられたでしょう。

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航空母艦「葛城」。燃料が欠乏し、出撃機会はほとんどなかった(画像:アメリカ海軍)。

●人造石油の場合
 日本は1936(昭和11)年に、自給できていた石炭から石油を作る「人造石油」を実現すべく、7億7000万円を投じています。大和型は2隻で2億7102万円ですから、国家プロジェクトだったのはむしろ人造石油でしょう。

 しかし、1940(昭和15)年度の計画93万キロリットルに対し、2万キロリットルしか製造できず、計画は失敗します。日本の技術者たちの経験が浅く、工作機械の加工精度に欠き、人造石油建設に必要な大量の鋼材も得られなかったことが原因ですが、さらに大和型の予算と資材を投入してこれを成功させられたなら、利益が大きかったともいえます。

 ドイツでは日本より10年早く人造石油製造に着手し、1944(昭和19)年に650万キロリットルの生産に成功しています。製造コストが高いため、アメリカから石油を輸入するのに対して2~10倍の単価になるという問題がありましたが、実用化にこぎつけていれば南方侵略をせずに済み、第二次世界大戦や太平洋戦争を“様子見”できたかもしれません。

【貴重ぉぉぉな写真】戦艦「大和」「武蔵」の並び

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