都電の線路の「出土」なぜ相次ぐ? 舗装の下にまだまだ眠ってる!? 発見された遺構の「その後」
都へは保存の申し出が来ている
見学会はあらゆる角度で遺構を観察できました。カーブの内外ともに溝付きレールで、軌道の延長線上には急坂の「安藤坂」が見えます。約66パーミル(1000m進むと66m上る)の勾配があり、39系統の難所でした。早稲田行きだと安藤坂を下った先に白鳥橋が控えているため、滑りやすい雨の日は運転士も気が抜けなかったことでしょう。
軌道舗装について、敷石は小ブロック状のものを敷き詰めたもので、お茶の水橋の錦町線遺構よりも小ぶりな印象です。敷石は一般的に御影石を使用し、都電では稲田石を多用していました。おそらくこれも稲田石かと思われますが、見学会の会場では確認できませんでした。敷石の形状から、板石舗装ではなく「ブロック舗装」と表したほうがしっくりきます。
都電の遺構はすでに出尽くした感がありますが、まだどこかに埋まっている可能性はあります。廃止から半世紀以上経過したいま、道路工事で舗装を剥がしたらヒョコッと軌道と敷石が現れるかもしれません。
白鳥橋の遺構は、見学会が終わると工事が再開して解体へと着手されます。東京都は保存の申し出を受け入れており、いくつか問い合わせがあるとのこと。錦町線遺構のように、末永く保存されることを願っています。
【了】
Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。
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