上京民が絶句「“短い”10両編成が参りま~す」 なぜ東京じゃ15両もフツーに? 列車の長さ、どう決まるのか

首都圏では15両編成もの長い列車も一般的な存在。しかし、「短くして、よりたくさん走らせる方がよい」場面もあります。列車の長さはどのように決まってきたのでしょうか。鉄道業務の省力化が進むなか、新局面も見えてきています。

汽車が「電車」に→車両が足りない!?

 戦後、首都圏では通勤輸送がひっ迫し、戦時中に設計された63系電車が大量製造され、10両編成が各線で走ります。東海道本線もパンク寸前まで輸送が増えました。

 他方、東京駅での折り返しに機関車を付け替える時間と設備が負担になり、1950年には長距離列車用の80系「湘南電車」が登場します。客車列車の置き換えで編成が長い上に荷物車も併結され、当時の電車では世界最長の16両編成で走りました。

 こうして爆増する輸送に対し汽車時代の長い列車が電車に置き換えられ、通勤電車並みに本数が増えていきました。これが新幹線や寝台電車にも引き継がれます。

 首都圏は爆増する需要のため、長い編成が数分おきに運転されましたが、地方都市では汽車が電車に置き換わっただけで、待ち時間は長いままでした。しかし、国鉄末期には甲武鉄道と同様の短編成化と増発が行われるようになります。

 1982年、国鉄は広島圏で「ひろしまシティ電車」として短い4両編成の列車を大増発しました。これが成功したため、各地に広がるのですが、長い編成を分割すると運転台が付いている先頭車が足りなくなります。

 そこで、中間車の端を切って新しく作った運転台を取り付ける「先頭車化改造」が盛んに行われるようになりました。近郊形電車だけでなく、寝台特急電車までもが近郊形化・先頭車化改造が行われ、編成が短くなっていきました。

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北陸本線で走っていた419系電車は、寝台特急電車の583系を改造したもの。こうした改造で一般電車を捻出した(画像:PIXTA)。

 こうして各地で列車の増発が行われたのですが、首都圏のうち貨物列車が走る区間については、信号の関係で増発も限界になりました。そこで、従来は10両編成だった4扉の通勤電車を15両にした常磐線快速が登場しました。扉の数も日本最多、240枚に上りました。

 一方、東北では機関車の廃止により客車の廃止も進みます。これを置き換えたのが701系電車です。ロングシートで定員数が多く詰め込みが効くため、客車列車よりも編成が短くなり、それまでボックスシートでゆったりと通学していたものが、都会並みの詰め込みラッシュに近くなってしまいました。

【長ぇぇぇぇ!!】これが現行“日本一長い”電車たちです(写真)

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