国鉄特急の象徴 長~く伸びた“デカッ鼻”は何のため? 新幹線や私鉄で真似た例も
国鉄特急形でよく見られた「ボンネット型」の先頭車。高い位置に運転台を置き、“鼻”を伸ばしたスタイルで、新幹線などにも受け継がれました。なぜ、あのような形が生まれたのでしょうか。
突き出た“鼻”には何が入っている?
特急形車両の中には、前頭部に貫通路がない車両がそれなりにあります。デザイン上と機能上、双方の理由があるものの、運転台を高い位置に置き、前頭部を前に伸ばしたスタイルを「ボンネット型」と呼びます。「ボンネット」とは自動車のエンジン部分の覆いを指す単語です。

そもそも鉄道が始まって以来、蒸気機関車が客車を牽引するスタイルが長く続きました。しかし1930年代になると、航空機や自動車の発達に対抗して、鉄道も蒸気機関ではない動力を搭載して、高速運転を行うという機運が高まります。
例えば、1932(昭和7)年にドイツで製造された電気式気動車「STV877」は、最高速度160km/hの高速性能であり、前頭部は流線形でした。ただ、この時点で前面窓は通常の位置にあり、“鼻”は突き出ていませんでした。
スイス国鉄は1935(昭和10)年、RCe2/4というボンネット型電車を開発します。これは「赤い矢」という愛称が付けられた高速性能を誇る電車で、最高速度125km/hを発揮することが可能でした。この電車も前頭部が“鼻”のように突き出ていましたが、その部分は電気機器の収納部として使われていました。
1952(昭和27)年に製造されたイタリアのETR300電車「セッテベロ」は、運転台を非常に高い位置に置き、前頭部を客室として前面展望を可能としたものです。厳密にはボンネット型ではないのですが、高速運転では運転台を高い位置に、という意味で、電車特急に強い影響を与えます。前面展望スタイルは、日本でも名古屋鉄道「パノラマカー」、小田急電鉄「ロマンスカー」に採用されました。
キハ81はクハ151のスタイルを踏襲したボンネット型ですが、運転台がクハ151よりも少し低くなっています。これは地方線区での信号の視認性に配慮したからだそうです。
鉄道は運転台が低くても先行車に視界が遮られず、むしろトンネルポータルなどが邪魔にならないため遠くまで見通せるとのこと。但し踏切など地上の障害の発見には運転台が高い方が有利です。
東海道線を最速で走った「特急こだま」が
ボンネット型で肌色赤線だったね
東京大阪を日帰りできるくらい速い(片道7時間くらい?)から、こだまと名付けられたような
信頼性のあるインバーター機器がなかった当時
MG変換機が入っていたの説明が足りなくない?