国鉄特急の象徴 長~く伸びた“デカッ鼻”は何のため? 新幹線や私鉄で真似た例も
国鉄特急形でよく見られた「ボンネット型」の先頭車。高い位置に運転台を置き、“鼻”を伸ばしたスタイルで、新幹線などにも受け継がれました。なぜ、あのような形が生まれたのでしょうか。
「ボンネット型」は国鉄特急形の象徴に
日本でボンネット型前頭部を初めて採用したのは、1958(昭和33)年に登場した最初の国鉄形特急電車151系(登場時は20系)です。151系は、前年に登場した小田急電鉄3000形「SE」の軽量化・高速電車をさらに一歩進めて、高速運転時に見晴らしが利く高運転台と、客室から騒音源となる電動発電機を遠ざけ静粛性を高めるという目的で、ボンネット型デザインとしていました。

運転席を高い位置に置いたことは、運転士にも大変好評でした。そのため、翌1959(昭和34)年に登場した157系電車も、少しでも高い位置に運転席を置くということで、床面を50cm高くした高運転台となり、後期型の153系、キハ58系といった急行形車両の運転席も高い位置に置かれるようになっています。
ボンネット型は国鉄特急形の象徴となり、気動車でもキハ81形で導入されましたが、分割併合できた方が運用しやすい気動車では普及せず、続くキハ82形では貫通型とされました。なお、私鉄特急でも1960(昭和35)年に登場した東武鉄道の1720系電車では、ボンネット型前頭部を採用しています。
近鉄も1958(昭和33)年、高速運転に備えて床を客室より60cm上げた初代「ビスタカー」10000系電車を製造しますが、こちらは“鼻”があまり出ていなかったのでボンネットとは認識されず、ファンからは「ブルドッグ」などと呼ばれていました。
キハ81はクハ151のスタイルを踏襲したボンネット型ですが、運転台がクハ151よりも少し低くなっています。これは地方線区での信号の視認性に配慮したからだそうです。
鉄道は運転台が低くても先行車に視界が遮られず、むしろトンネルポータルなどが邪魔にならないため遠くまで見通せるとのこと。但し踏切など地上の障害の発見には運転台が高い方が有利です。
東海道線を最速で走った「特急こだま」が
ボンネット型で肌色赤線だったね
東京大阪を日帰りできるくらい速い(片道7時間くらい?)から、こだまと名付けられたような
信頼性のあるインバーター機器がなかった当時
MG変換機が入っていたの説明が足りなくない?