独自路線すぎる!? 怒涛のごとく現れた80s「スズキのスクーター」たち ホンダ・ヤマハとは“発想が別次元!?“
1977年にリリースされたヤマハ・パッソルの爆発的なヒットをきっかけに、80年代以降、空前の原付スクーターブームが巻き起こりました。ホンダ・ヤマハに対し、スズキも個性あふれるモデルを数多く打ちだして応戦しました。
今に続くあのモデルがついに登場!
その一方、同じ1986年にはスズキの原付スクーターでは初となるメットイン機能を持たせた実用派「アドレス」をリリース。細みでシャープな印象のボディにして、スポーティな走りを味わえたモデルでした。アドレスはいまもモデルが存続しています。
さらに同じく1987(昭和62)年には、かつてのシュートを丸くしたような原付スクーター「モードGT」も登場。特にスズキのこだわりを強く感じるのが足回りで、フロントにテレスコピックフォークを採用し、油圧式のディスクブレーキも搭載。次世代の原付スクーターに多く採用される機構をいち早く搭載させた1台でした。
そして、1988(昭和63)年にはハイの走行性能をさらに高めた「ハイアップ」、そして評価が高かったハイRのブラッシュアップモデル「ハイアップR」も登場。いずれもここまでのハイの特徴であった“ハイヒップ・シェイブ”がなくなり、よりスポーティな印象を追求したモデルでした。
80年代最後に登場したモデルが次世代へ
そして、80年代のスズキの原付スクーターとしては最終モデルとなったのが、1989(平成元)年リリースの「セピア」でした。ハイシリーズが総じて若者の嗜好に寄せたモデルだったのに対し、普段使いの実用性に特化させたのが初代セピアで、メットインはもちろん、シートを開けずにガソリンやオイル給油できる仕様でした。
ただし、やはり原付スクーターの一番のユーザーは当時の若者たちです。後にハイシリーズが生産終了になると、90年代初頭に当初こそ実用性に特化させていたセピアにもスポーツモデルが登場。言い換えれば、ハイシリーズが持っていたコンセプトはセピアシリーズに移行・集約されることになったのでした。
80年代の原付スクーターブームの中ではもちろんホンダ、ヤマハも様々なタイプのモデルをリリースしました。しかし、ここまでを振り返ると、販売台数的には3社の中で最下位だったスズキの原付スクーターのラインナップが最も自由で独創的であり、玉石混交だった当時の原付スクーターの中でも抜きん出た個性派モデルが多かったように感じます。
ここまでに紹介した80年代のスズキの原付スクーターたち。当時バイクを乗っていた多くの人たちの記憶の中に、今もきっと残り続けていることでしょう。
Writer: 松田義人(ライター・編集者)
1971年、東京都生まれ。編集プロダクション・deco代表。バイク、クルマ、ガジェット、保護犬猫、グルメなど幅広いジャンルで複数のWEBメディアに寄稿中。また、台湾に関する著書、連載複数あり。好きな乗りものはスタイリッシュ系よりも、どこかちょっと足りないような、おもちゃのようなチープ感のあるもの。
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