「日本唯一の鉄道橋」空から見ると…? 湖に眠る「第二のタウシュベツ川橋梁」「軍仕込みの仮橋」 余生を送る北の大地の橋
鉄道の橋梁は様々な形状がありますが、北海道には日本唯一というべき鉄道橋梁がありました。過去の空撮写真で振り返ります。
湖畔に眠る珍しい「重構桁」
続いても下夕張森林鉄道の遺構です。三弦橋でシューパロ湖対岸へ渡った線路は、湖畔沿いに第2号~第6号と橋梁が残されていました。中には珍しい「重構桁」と呼ばれるものがありました。
重構桁とは聞きなれない橋です。これは旧陸軍の組み立て式トラス橋で、作戦地における架橋や撤去の際に使用された仮橋です。中国大陸や東南アジアといった各地の戦場で、例えば永久橋を爆撃後に応急として重構桁を架橋するといった形で使用されてきました。移動しやすいようにトラスは小さく、現地の状況に応じてピン結合で組み立てて使用されました。
重構桁が下夕張森林鉄道に使用されたのは、終戦直後の木橋から鉄橋への架け替えによります。戦前より使用してきた木橋が老朽化や災害で落橋し、1948(昭和23)年から鉄橋への架け替えが促進されました。しかし終戦直後の物資が枯渇していた時代では鋼材の手配が困難で、払い下げ品をかき集めたものや、橋梁会社の在庫から調達したものに重構桁がありました。(参考:『鉄道廃線跡を歩くV』、『土木史研究』第22号2002年5月)
最後は、本州と北海道を結んだ青函連絡です。青函トンネルの前後にある高架橋の橋梁ではなく“船”です。船に橋といえば桟橋ですね。青函連絡船で車両航送する際、船とドッキングする線路の桟橋です。これも立派な橋であり、可動橋の一種です。
連絡船と陸を結ぶ線路部分は、潮の満ち引きによって海面が変化するため、上下に調整可能な可動橋が設置されました。船尾部分と橋梁の間に門型のクレーン(主塔)が備わり、上部に操作室があって、干満によって船尾に備わる線路と橋梁の線路の高さを合わせていました。
連絡船の可動橋は、青森駅に隣接する青森桟橋の「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」が唯一の残存となります。同地での青函連絡船の車両航送は1925(大正14)年に開始されました。現存する門型の主塔は同時期に設置されたもので、桁は戦後に速度向上のため改良されました。
八甲田丸の内部では可動橋模型が展示されているので、この空撮写真を見た後に八甲田丸へ訪れると、より納得することでしょう。
Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。日本写真家協会(JPS)正会員、日本鉄道写真作家協会(JRPS)会員。





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