戦時中 日本軍が実施した完璧な「奇跡の撤退作戦」支えたのは“足の速い新型駆逐艦”と“画期的な上陸艇”だった?
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奇跡の撤退を支えた「ダイハツ」
7月初旬、第一水雷戦隊はキスカ島に接近しますが、天候は晴れで霧の気配はなし。木村少将はいったん日本へ帰投しますが、「将たる器に乏しい」「臆病風に吹かれた」などの心無い批判も受けました。それでも木村少将は諦めず、7月22日に再びキスカ島へ向かう決意をします。キスカ島では、守備隊全員が救援艦隊の到着に備え、毎日海岸に整列して待機していました。
7月29日、旗艦「阿武隈」に不思議な情報が入ります。キスカ島周辺を哨戒中のアメリカ艦隊が砲撃戦を行っているというのです。濃霧の夜、アメリカ艦隊はレーダーに映った影を日本艦隊と誤認して砲撃を開始しました。この影が何だったかは正確には不明ですが、日本軍ではなかったことは確かです。その後、アメリカ軍は弾薬補給のためキスカ島を離れました。
日本軍はこのチャンスを逃さず、高速駆逐艦が島へ急行します。ここで陸軍の秘密兵器「大発動艇」が威力を発揮しました。
1930年代初期に開発されたこの大発(ダイハツ)とも呼ばれる上陸艇は、艦首が倒れる扉式で、海岸に直接乗り上げる際、船首を即席の歩板として使用できます。1隻で50~100名を輸送可能で航行時の静音性も高く、撤退作戦に非常に有効でした。
沖合の艦艇に人員を収容後、すぐ岸に戻りピストン輸送することで、わずか55分で約5,000人を撤退させることに成功しました。
制空権・制海権を失った絶望的な状況での撤退。この「奇跡の作戦」は、キスカ島撤退作戦として後に語り継がれることになりました。
さらにアメリカ軍には不運が続きます。弾薬を補給してキスカ島に戻ったアメリカ軍は、アッツ島での戦闘経験から日本軍が徹底抗戦すると思い込み、大規模な艦砲射撃の後、北西側から上陸を試みました。しかし日本軍は不在で、アメリカ軍は同士討ちや地雷、武器の暴発により100名以上の死傷者を出す大惨事となりました。また、哨戒中の駆逐艦「アブナー・リード」も触雷し死傷者が出ました。日本軍の鮮やかな撤退の直後、アメリカ軍は「史上最大の実戦的上陸演習」「米国史上最悪の軍事訓練」などと皮肉られる結果となったのです。
※一部修正しました
Writer: 凪破真名(歴史ライター・編集)
なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。





島風ではなく、雪風の画像になっています
「島風」とされる写真は、明らかに「雪風」です。
誤字「指揮」X → 「士気」もありました。
駆逐艦雪風の写真が堂々と島風として載せられてるぞ
「島風」の写真が「雪風」になっているかと思います。
島風の画像が雪風なんだが(´・ω・`)
後指揮でなく士気
広告が多過ぎて、集中して記事が読めないです。
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