「平塚まで禁煙」ってどういうこと? 男性喫煙率83%で駅も車内も「モクモク」 別世界だった昭和の鉄道
昭和の列車はたばこを吸えました。旧型車両の窓下には灰皿があり、撤去後も取り付けねじのネジの跡があります。しかし今は駅構内も含めてほとんど禁煙。車内禁煙の理由は混雑だけではありませんでした。喫煙者の肩身が狭くなるばかりです。
ただし「分煙」は明治から実施されていた
ただし、明治時代の鉄道開業直後から、鉄道は「分煙」に配慮していたようです。1897(明治30)年に発行された「鉄道法規類抄」によると、1886(明治19)年の通達「禁煙車連結に関する件」で、「自今毎列車連結車輛ノ内中等車壹輛丈ハ必ズ禁喫煙トシ分連結可有之、且該車ハ専ラ外国婦人ノ喫煙ヲ嫌フガ故ニ設ケタルモノニ付可成外国婦人ヲシテ之ニ乗ラシメ、他ノ旅客ヲシテ除リ雑?セシメザル様、車掌長ニ於テ専ラ御注意可有之、此段申入候也。」とあります。
現代語に訳すると「今後は、各列車に連結されている車両のうち、中等車の1両を必ず禁煙車とし、編成に組み込むこと。また、この車両は主として喫煙を嫌う外国人女性のために設けたものであるため、できるだけ外国人女性をそこに乗せ、他の乗客で混雑させないよう、車掌長は特に注意すること。以上申し入れる。」となります。
時代が進むと、急行列車に喫煙室が設置された時期もあったそうです。後に新幹線の「こだま」16号車に禁煙車が設定されました。
禁煙車拡大の転機は、1980(昭和55)年の「嫌煙権訴訟」でした。「嫌煙権確立を目指す法律家の会」が、国鉄車両の半分を禁煙車とするなどの処置を執るよう求めて、列車を運行する国鉄、国鉄を所管する国、たばこを販売する日本専売公社を訴えました。この裁判は7年後の1987(昭和62)年に東京地裁で判決が下され、原告の請求は棄却されました。
理由は、「国鉄以外の交通手段があるので煙害の回避は困難ではない」「受動喫煙の害と不快感は認められる。しかし、国鉄の車内の受動喫煙は一過性であり受忍限度の範囲内」「日本の社会が喫煙に寛容」でした。「国鉄だけが受動喫煙させているわけではないし、ガマンしなさい」と受け止められる判決でした。原告は控訴せず判決が確定しましたが、受動喫煙の害は1970年代から認知されており、この裁判をきっかけに鉄道の禁煙車が増えていきます。月刊時刻表の編成表では、禁煙車と喫煙車がマークで示されていました。
筆者が2003(平成15)年に東海道・山陽新幹線で広島に行ったときのことです。禁煙車からプラットホームに降りると、目の前に喫煙コーナーがありました。しかも屋根がなく、衝立で仕切っただけという構造でした。煙が周囲に拡散しています。「禁煙車を降りたら受動喫煙という状況は問題だ。配慮が必要ではないか」と、JR西日本の公式サイトからメッセージを送りました。返信は「そこしか喫煙コーナーを作れなかったのでご理解ください」という内容だったと記憶しています。





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