火山噴火になぜ戦車? 頑丈さや悪路走破性のみならず 雲仙普賢岳噴火と陸自74式戦車

大火砕流を受け、74式戦車が出動した理由

 雲仙普賢岳の噴火に関し、1991年6月3日に発生した大火砕流の時点で自衛隊は災害派遣されていましたが、翌6月4日には玖珠(くす)駐屯地(大分県)に駐屯する第4戦車大隊所属の74式戦車2輌が、災害派遣部隊集結地に展開しました。この2輌の74式は、赤外線暗視投光器を装備した車体で、車体部前面に「災害派遣」と描かれたプレートを付けていました。自衛隊は、74式戦車が装備する大型投光器で溶岩ドームなどを照射し、監視活動を行おうと考えたのです。

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総火演の夜間演習で約1km離れた目標地域に白色光を投光する74式戦車。(月刊PANZER編集部撮影)。
総火演の夜間演習にて。74式戦車の投光器で照らし出された射撃目標(月刊PANZER編集部撮影)。
投光器のアップ。内部に可動式のフィルターが設置されている(月刊PANZER編集部撮影)。

 しかし実際には、74式戦車が監視活動に投入されることはなく、監視活動は同時期に展開していた第4偵察隊(福岡駐屯地)の87式偵察警戒車が行うことになりました。87式偵察警戒車はその名の通り、偵察活動が主任務であり、警戒監視能力に優れています。その点では戦車以上に状況にマッチした装備であったといえるでしょう。この際は暗視装置や対地レーダーを砲塔上に装着し、溶岩ドームなどの監視にあたりました。

 こうして74式戦車は災害派遣で駐屯地からは出たものの、実際の活動は行うことなく撤収しました。その点では福島第1原発の災害派遣と同じだったといえるでしょう。

 なぜ、戦車が災害派遣されたのでしょうか。投光・照射だけなら民間のサーチライトでもよかったのではと思われるかもしれません。しかし、6月3日以降も火砕流は発生しており、万が一、再度大火砕流が発生し、監視活動中に巻き込まれたとしても、戦車であればハッチを閉じて乗員室を密閉でき、高熱や飛散する岩石から乗員を防護することができます。また、履帯(いわゆるキャタピラー)で走行する戦車であれば、道路に堆積した火山灰や瓦礫をものともせず走破することが可能です。行方不明者捜索などに装甲車が使用されたのも、同様の理由によるものです。装甲防護力では戦車よりやや劣るものの、装甲車も銃弾や砲弾の破片を防ぐ程の性能があり、戦車と同様に乗員室を密閉することができます。

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コメント

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2件のコメント

  1. フクイチに出動した74式は、作業に人が入れない場所の障害物を105mm砲で射撃して排除したというとんでもないウワサが。
    あれだけ人が敷地内いて、戦車砲の発砲音と衝撃波を感じていれば、その話は公になるのにw

  2. 相当単純に言えば74式戦車しか行けなかっただけの話。
    重量もあるし、火砕流なんか来られた日には73式装甲車ではアルミ製だから丸焼きになりかねない。
    福一の件も同じだが74式と90式ではNBC対策が根本的に違っている。
    74式だと車体そのものを与圧して環境を維持しているのに対して、90式だと乗員の防護服で対応している。