東急田園都市線は銀座線に乗り入れるはずだった 幻の直通計画が変わったワケ

「地上」からは別ルートで都心乗り入れに

 ただ、銀座線は2本のレール幅(軌間)が1435mm。電気の供給方式も走行用レールの脇に設置した給電用レール(サードレール)を使う第三軌条集電方式を採用しています。東急各線の多くは1067mm軌間で、線路の上の電線(架線)から電気を供給する方式ですから、これでは銀座線に直通できません。

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渋谷駅を発車した銀座線の電車(2014年7月、草町義和撮影)。

 そのため、新玉川線は銀座線と同じ規格で建設されることになりました。東急が新しい路線を建設するというより、銀座線の延伸区間を東急が建設、運営することになったといえるでしょう。

 一方、田園都市線の地上区間は大井町線の延伸区間として、「東急線規格」で建設されることになりました。これでは「銀座線規格」の地下区間に直通できず、現在の二子玉川駅での乗り換えが必要です。その代わり、現在の二子玉川駅から大井町線と池上線を経由して五反田方面に抜け、現在の都営三田線に相当する地下鉄新線に接続することが考えられました。

 こうして1963(昭和38)年には地上区間が着工。翌1964(昭和39)年には新玉川線の起工式も行われました。

 しかし、新玉川線はのちに「東急線規格」に変更したうえで工事が本格化し、1977(昭和52)年に開業。地上区間も都心への直通ルートが新玉川線への直通に変わり、1991(平成3)年までに現在の区間が全て開業しました。

 計画が変更された理由は、おもにふたつあります。ひとつは地上区間からの都心直通ルートの実現が遠のいたこと。都営三田線は北側から少しずつ南下する形で工事が進められたため、東急池上線の近くに達するまでには相当な時間がかかる見込みになりました。

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コメント

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6件のコメント

  1. 記事中、「1978年から相互直通運転」となっていますが、当時の営団は鷺沼検車区の完成する1981年までは半蔵門線用の車両は保有していなかったので、「相互」ではなく、片乗り入れです。

    • 通りすがり様

      ご指摘ありがとうございます。 訂正いたしました。

  2. 用賀にある世田谷ビジネススクエアは、元々新玉川線を銀座線の延伸区間として建設した場合の車両基地として確保していた用地に建設されたと聞いたことがあります。

  3. 三田線はこの直通計画のために
    20m車体、狭軌で開通したが
    北側での相手方の東上線も
    計画変更になってしまいご破算に…

    結局また目黒線直通となるまで
    なんのために他社の規格に合わせたのか
    わからない状況に………

  4. 銀座線につなごうとしてみたり、都営三田線につなごうとしてみたり、結局半蔵門線につないでみたものの今の惨状。 東急電鉄はまともな鉄道会社とは思えません。

  5. 東急と銀座線の規格が違うのは分かっていた事なので、これが発表された計画だったのか、それとも机上の空論だったのか気になりますね。