引退した千代田線「6000系」どんな車両だったのか 地下鉄で一時代を築いた革新的車両
東京メトロ千代田線を半世紀近く走り続けた電車「6000系」がついに引退しました。「地下鉄車両の一時代を築いた名車」といわれ、その後の地下鉄車両にも多大な影響を与えた6000系は、どのような車両だったのでしょうか。
別れを惜しんだ鉄道ファンが殺到
東京メトロ千代田線で運転されてきた6000系電車が、2018年10月5日に定期列車での運転を終了しました。10月13日からは土休日のみ綾瀬~霞ケ関間で1日1往復の特別運転を行っていましたが、これも11月11日(日)に終了。ついに引退となったのです。
ラストランでは6000系の引退を惜しんだ鉄道ファンが殺到。混雑の影響で列車が遅れたといいます。鉄道車両が引退するとき、別れを惜しむ人が殺到するのは比較的よくあること。しかし、6000系の場合は「地下鉄の一時代を築いた名車」だったことも、殺到の理由のひとつになっていたのかもしれません。6000系のどの部分が「一時代」を築いたのでしょうか。
6000系は営団地下鉄(現在の東京メトロ)時代の1968(昭和43)年から1990(平成2)年まで、試作車両を含めて36編成、合計353両が製造され、全ての車両が千代田線に投入されました。2010(平成22)年から新型車両16000系電車への置き換えが進められ、最後の2編成を残すのみとなっていました。ラストランを飾ったのは量産車第1編成の02編成で、1971(昭和46)年のデビューから47年間走り抜いたことになります。
6000系の開発は千代田線の建設と並行して行われました。営団地下鉄は1964(昭和39)年5月、地方鉄道法に基づき千代田線の敷設免許を申請。翌1965(昭和40)年には外部の有識者を交えた車両設計委員会が立ち上げられ、新型車両の開発方針が決められます。
それは、あらゆる新技術を積極的に取り入れて、全ての面で効率の良い車両であること、メンテナンスが容易なこと、さらに40年以上使用可能で、20年後も陳腐化せず、自動車との競合にも負けない快適な車両という壮大なものでした。
この要求に応えるために、6000系に導入されたふたつの新技術が「サイリスタ・チョッパ制御装置」と「アルミニウム合金製車体」です。
先週の土曜日に、最後の千代田線6000系を一目見ようと霞ヶ関駅へ写真を撮りに行きましたが、同駅に到着時は、車内はパンパンでした。出発した時は、少し混み合っていましたが、座る事ができました。私の思い出の千代田線6000系も、引退後は、インドネシアヘ旅立つ予定です。長い間、本当にお疲れさまでした。そして、さようなら。
最終日、鉄道マニアは公共の場でさんざん喚き散らしてハロウィンの連中と何も変わらないね
周りの迷惑も考えられないんだろうなあ
日本の省エネ電車の先祖みたいな立ち位置がこの6000系。約半世紀前にパワーエレクトロニクス機器の開発を熱心に進めてくださったエンジニアたちに今さらですが感謝申し上げます。