東京メトロ赤坂見附駅、乗り換えが便利な構造は「幻の地下鉄」の名残だった

「幻の新宿線」スペース活用で建設費を圧縮

 営団地下鉄は丸ノ内線の原型となる新線計画を立案。戦時中の1942(昭和17)年、赤坂見附駅付近の建設工事に着手します。しかし、戦況の悪化により具体的な工事は何も進まないまま中止に追い込まれてしまいました。そのため、新宿線用のホームは空襲から車両を守るための留置線として使われていたそうです。

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同じホームで乗り換えできる赤坂見附駅。柱が2つ並んだ銀座線側が元々のホーム幅(2018年6月11日、枝久保達也撮影)。

 こうして戦後、「三度目の正直」として着工されたのが現在の丸ノ内線です。すでに完成していた赤坂見附駅のスペースを使うことができたため建設費用を抑えることができ、工事も迅速に進みました。

 ただし、東京高速鉄道が建設した赤坂見附駅を、そのまま流用したわけではありません。建設当時は後の急激な利用者増加を想定していなかったため、ホーム幅がわずか5mしかありませんでした。このままでは乗り換え客であふれてしまうことから、ホームの幅を最大で15mに広げています。

 拡張の名残はいまでも見られます。赤坂見附駅のホーム四ツ谷寄りに立ってみると、銀座線側に柱が2本あり、少し離れて丸ノ内線側に柱が1本立っていることに気づきます。柱が2本立っている部分が、開業当時にホームとして使われていた空間です。

 ちなみに、表参道駅も銀座線と半蔵門線が同じホームで乗り換えできる構造になっていますが、銀座線の建設時には別の路線が乗り入れることを想定していませんでした。そのため、半蔵門線の建設に際してはホームの移設を伴う大規模な改良工事が行われており、かなりの手間と時間がかかりました。

 一方、建設当初の赤坂見附駅と同じ理由で同じ構造をしているのが、半蔵門線の住吉駅(東京都江東区)です。営業列車はホームの片側にしか発着せず、反対側の線路は留置線として使われています。この留置線は、住吉から南下して有楽町線の豊洲駅に至る新線構想(有楽町線の分岐線)に対応するため、準備されたスペースです。

 近年、江東区主導で住吉~豊洲間を整備しようという動きが具体化しつつあります。このホームも赤坂見附駅と同様、いつか陽の目を見ることになるのでしょうか。

【了】

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コメント

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2件のコメント

  1. 先人の遺産が活きましたな

  2. 画像キャプションの「同社は赤坂見附~新橋間の建設も計画していた」の「新橋」は「新宿」の誤りでは?