「戦車の母国」イギリスになぜ「史上最悪の戦車」ができたのか 試行錯誤の証とは?

防御力最優先を具現化した「トータス」

 このようにTOG2は、第2次世界大戦中盤には完全に時代遅れのものとなっていましたが、やがて連合軍が反攻を開始し、ドイツの強固な要塞陣地を突破して進撃する必要に迫られると、同じような防御力最強の重戦車が計画されるようになりました。それが「トータス」です。

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トータスはTOG2と違い制式化されたが、生産数はわずか6両のみ(月刊PANZER編集部撮影)。
トータス重戦車の装甲厚は最大224mm(月刊PANZER編集部撮影)。

 計画は1943(昭和18)年春から始まり、1944(昭和19)年初頭には設計が完了しました。防御力を徹底的に高めるために砲塔はなくし、車体前面は継ぎ目のない一体構造となっていました。また主砲には、当時最強とうたわれたドイツのキングタイガーも撃破できるよう、そのキングタイガーの88mm砲よりも威力の高い、高射砲改造の長砲身32ポンド(94mm)砲が搭載されました。

 しかし、重武装・重装甲に過ぎて、車体は全長10m、重量79tの巨体となり、そもそも最前線にどうやって運ぶのか、その重量に耐えられる港湾のクレーンや運搬用トレーラーを選ばなければならないほどだったのです。

 ちなみに、戦力化を急ぐために試作車を製作せず、いきなり量産に入る方法が採られましたが、当然、製造には時間がかかり、陸軍からは25両の生産命令が出たものの、大戦終結の1945(昭和20)年までに6両が完成しただけでした。

 結局、第2次世界大戦には間に合わず、その後、各種テストが繰り返されましたが、現代戦には適応しないと判断されてしまいました。

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コメント

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8件のコメント

  1. >>速度が自転車並で…
    まあ陸自も61式(だったか)開発時、普通科隊員の進出速度と同等の時速30km程度までで十分!!
    という主張をするえらい人もいたそうなので、火力と装甲が満たせれば…と考えたのかもしれません。

  2. イギリスの軍事開発はよく「変態」と称される。まー軍オタ限定の話だが。
    戦車だけじゃないので第2弾第3弾もやっとくれ。調べりゃいくらでも出てくるから。

    • ははあ。
      岡部ださく先生の著作ですな。

  3. イギリスを共和制にしたクロムウェルを戦車の名前にするってどうなの?

  4. そんなものはガラクタに過ぎん。現代の機械産業の制空権は安来の十神山にある。古事記を読めるようになりたまえ。そして特殊鋼の結晶の秘密を知ることだ。大同少尉には口を酸っぱくして言っているのだがね。なに、私と戦うつもりか。素晴らしい。見せてあげようラピュタの雷を。

  5. まだ大同の技術士が庄原の比婆山が古事記の比婆山と言い張っておる。伯耆と出雲の堺の比婆山は島根県安来市伯太町にある比婆山であることは分かり切ったこと。古事記を読めるようになりたまえ。

  6. 我が国、電気製鋼の発祥の地ですね。

  7. そうかマルテンサイトと関連が深いので刃物まつりやるんですね。