東海道・山陽新幹線「0系」どんな車両だった? 初代新幹線の特徴は 食堂車、光った鼻

古い0系を新しい0系で置き換え

 1976(昭和51)年には最初に製造された0系が引退しましたが、これの代替として製造された車両も0系でした。

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普通車の座席は在来線の車両より1列多い5列になった(2019年4月、草町義和撮影)。

 0系は編成単位ではなく車両単位で追加製造され、編成の組み替えも頻繁に行っていたため、ひとつの編成中に新しい0系と古い0系が混在するように。古い0系だけ別の新型に交換すると前後の車両と互換性がなくなるため、0系を製造し続けるしかなかったといえます。当時の国鉄は経営悪化が極度に進んで技術開発が滞り、新型車両を開発する余裕がなかったことも背景にありました。

 こうして0系は窓の小型化やリクライニングシートの導入、最高速度の引き上げ(210km/h→220km/h)などの改良を重ねながら、国鉄分割民営化直前の1986(昭和61)年まで約20年にわたり、合計3216両が製造されました。これは在来線の103系通勤形電車(3447両)に次ぐ多さです。

 ちなみに、山陽新幹線では1988(昭和63)年に「ウエストひかり」という列車が登場し、車内を中心に改造された0系が使われました。普通車は4列のシートを採用してスペースを広くし、ビュッフェや映画を見ることができる「シネマカー」も連結するなど、サービスの改善を図っています。

 しかし、0系の本格的なモデルチェンジ車となる100系が1985(昭和60)年にデビューし、翌1986(昭和61)年から量産化。その後も300系や500系など新型車両の導入に伴い0系の廃車が進み、1999(平成11)年には東海道新幹線から0系の姿が消えました。山陽新幹線ではその後も4両または6両の短い編成で運転されましたが、これも2008(平成20)年に引退しました。

 0系は世界初の本格的な高速鉄道である新幹線の基礎を作った車両として、非常に大きな意味を持つ車両です。京都鉄道博物館などで引退した0系が展示されているほか、鉄道発祥の地であるイギリスの国立鉄道博物館にも0系の先頭車1両が寄贈され、蒸気機関車として世界最速の203km/hを記録した「マラード号」とともに展示されています。

【了】

【写真】0系と世界最速SLのツーショット!

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コメント

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1件のコメント

  1. 福山の出張でウエストひかりを使ったな
    骨太な車内やデッキが好きで旅情緒を演出するよい電車だったな
    今でも新幹線の絵なら0系しか描けないよ
    山陽新幹線のトンネルでコンクリート片が落下した時に被害を食らった0系
    空調システムが天井に配置されていたことが不幸中の幸いだったとか?