東京の鉄道風景 半世紀でこれだけ変わっていた 50周年の寅さん映画で定点観測してみた

赤い京成電車が走っていた第32作

 1983(昭和58)年の第32作『口笛を吹く寅次郎』のころになると、同形電車でも塗色が変わり赤一色の車両が柴又駅へやってきます。この作品ではラスト近く、柴又駅ホームで重要なドラマが展開します。朋子(竹下景子)の想いを受けきれない寅さんの姿が切なく映る場面です。

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柴又駅前の寅さん像(2019年12月、内田宗治撮影)

 最終の1995(平成7)年第48作『寅次郎 紅の花』では、柴又駅で泉(後藤久美子)を、さくらが見送ります。二人がホームで待っているあいだ、さくらが「(息子の)満男(吉岡秀隆)は、泉ちゃんに振られちゃったのね」と言うと、泉が寂しそうに微笑む姿が心に残ります。そこへ入って来るのが銀色のステンレスに赤と青の帯の3500形電車。現在の金町線を走るのと同じ形の電車です。

 寅さんは夜汽車の光景を何度か語ったことがあるので、再び旅に出るときは、よく夜行列車に乗ったのでしょう。新幹線や特急のブルートレイン寝台車両は寅さんに似合いません(泉ちゃんの母親の夏木マリと一緒に、九州へのブルートレインに乗ったことはあります)。

 現在、東京都内を発着する定期の夜行列車は寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」のみとなってしまいましたが、寅さん映画の時代では最終作のころでも上野駅(東北・北陸方面)、東京駅(大阪方面)、新宿駅(松本方面)から、夜汽車のムード漂う4人掛け座席の夜行急行などが出ていました。

 第7作『奮闘篇』が封切られた1971(昭和46)年までなら、上野発青森行き(奥羽本線経由)、夜10時過ぎに発車して次の日の夜10時前に着くというとんでもない長距離夜行鈍行列車さえありました。各地にあったこうした夜行鈍行列車を寅さんは利用したのでしょう。

【写真】構内踏切が残る柴又駅

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