「バレンタイン」と呼ばれる戦車 英がソに押しつけ?チョコならぬ余り物バレンタイン

作りすぎたバレンタイン歩兵戦車 せっかくなのでソ連に輸出

 バレンタイン歩兵戦車は、第2次世界大戦においてイギリス軍がドイツ軍にヨーロッパで追い詰められ、ダンケルクから命からがら撤退してきた直後の戦車不足の時代に、急ピッチで作られたものです。生産性が高い構造だったようで、すぐに量産体制ができ上がり、カナダでも生産されていました。

 しかしそののち、徐々にアメリカからアメリカ製戦車が手に入るようになると、バレンタイン歩兵戦車は余剰が目立ってくるようになります。そこで、イギリスはこの余った同戦車を、イラン経由でソビエト連邦へ輸出(レンドリース)することにします。

 これだけだと、ソ連にいらない物を押し付けたような話になりますが、決してそうではありません。ちゃんと役に立ちました。

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コーカサス地方はバクーなど原油や天然ガス、鉄鉱石などの資源が豊かな地域。スターリングラードは現在のヴォルゴグラード(国土地理院の地図を加工)。

 1942(昭和17)年6月から、ドイツ軍がカスピ海周辺の油田を狙ってコーカサス方面を攻めた際は、同地においてソ連守備部隊が運用する戦車の40%以上が、バレンタイン歩兵戦車やアメリカ製の戦車でした。T-34などのソ連戦車はスターリングラード方面に展開していたためです。特にバレンタイン歩兵戦車は、ソ連戦車と同じくディーゼルエンジン採用車だったため運用しやすく、戦争が終わるまで主力の補助や偵察任務などに使用されたようです。

 バレンタイン歩兵戦車はバリエーションを全て含めると、7000両以上が生産されています。これは、第2次世界大戦期におけるイギリス軍戦車としては最多の生産量です。不遇な扱いを受けることもあったものの、アメリカでいえばシャーマン中戦車、ソ連ではT-34にあたるのが同戦車だったわけです。

 ちなみに、バレンタインデーにチョコを贈る風習のルーツは、イギリスともいわれています。ソ連に渡したバレンタイン歩兵戦車がチョコ(茶)色だったかどうかは定かではありませんが、ともあれ「余ってた」というわりに有料だったそうです。

【了】

【写真】「バレンタイン」の前任は「マチルダ」 イギリスの歩兵戦車

Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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