都心域の廃駅 路線は存続も なぜ? 東京ならではの事情や歴史 毎日そばを通るかも…

復活しない理由は「長編成化」と「スピードアップ」

 東京都内の駅が最も多く廃止された時期は戦時中でした。先述の通り、空襲による被害、不要不急指定などです。それらも含めて廃止された駅を挙げましたが、戦時下で休止しても復活しなかったのには共通点があります。それは、編成数の長大化とスピードアップです。

 列車の編成が長いと、駅を出てもすぐ隣の駅に着いてしまいます。駅に停車すればそれだけ、路線全体の所要時間は増えます。そこで、隣の駅に近い駅同士を比較して、乗降客数の少ない駅を廃止するのです。

 たとえば京急電鉄は高架化を機に、北馬場駅と南馬場駅を統合して新馬場駅(品川区)としました。付近にあった浜川駅、出村駅も廃止されました。京王電鉄では、新宿~幡ヶ谷間で駅間距離の短かった葵橋駅や幡代駅などが廃止されました。

 廃駅のなかには、再開発などの理由で復活させようという動きもあるようです。あるいは今後も、スピードアップのために駅を統合するという構想が生まれるかもしれません。鉄道利用者が多い大都市でも、駅の廃止、統合は例外ではありません。

【了】

【写真】広告に歴史を感じる! 戦前の万世橋駅ホーム

Writer: 杉山淳一(鉄道ライター)

乗り鉄。書き鉄。ゲーム鉄。某出版社でゲーム雑誌の広告営業職を経て独立。PCカタログ制作、PC関連雑誌デスクを経験したのち、ネットメディアなどで鉄道関係のニュース、コラムを執筆。国内の鉄道路線踏破率は93パーセント。著書に『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。日本全国列車旅、達人のとっておき33選』(幻冬舎刊)など。

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