渋谷~六本木間 地下鉄なし なぜ鉄道空白地帯なのか 街の成り立ちから見るその理由

都市計画2号線だった「日比谷線」 当初案は六本木を通らず

 東京市が1930(昭和5)年に行った調査では、市電(現在の都電)の六本木停留場で乗車した客が下車した停留場は、多い順に、1位渋谷駅前499人、2位新宿駅前273人、3位虎ノ門253人、4位角筈(新宿)238人、5位四谷塩町(四谷三丁目)214人でした。当時、六本木と渋谷は密接に結び付いたことが分かります。

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東京メトロ日比谷線の六本木駅(2020年7月、内田宗治撮影)。

 大江戸線の六本木駅に隣接した東京ミッドタウン(港区赤坂九丁目)は、戦前は陸軍歩兵第一連隊の兵営が広がり、国立新美術館の地(同・六本木七丁目)は陸軍歩兵第三連隊でした。六本木はいわば軍隊の街でした。

 渋谷も、1.5kmほど西の駒場一帯には陸軍騎兵営などがあり、そこには軍馬と下級兵卒が多くいて、渋谷の盛り場は馬糞臭い軍人さんの多い街などといわれていました。どちらの街も、軍隊と関係がありました。

 戦後時を経ずして東京の人口が激増し、鉄道網の改善が急務となります。運輸省に都市交通審議会が設置され、1956(昭和31)年、都心に地下鉄路線を複数建設し、私鉄を直通運転させることが決定します。1956年当時すでに開業していた東京の地下鉄は、銀座線と丸ノ内線(池袋~東京)だけです。

 現在の日比谷線にあたる都市計画2号線は、銀座線の混雑緩和などのために東急東横線、東武伊勢崎線との直通運転を見据えて計画されました。当初は祐天寺から恵比寿、愛宕町から皇居の西側を通り、九段上を経て神田、北千住に向かうルートで、六本木は経由しないものでした。1957(昭和32)年、東京都市計画地方審議会により、皇居の東側を通るルートに変更され、六本木を経由することになりました。日比谷線の霞ケ関~六本木~恵比寿間は、1964(昭和39)年3月25日に開業します。

【地図】都心域にありながら、確かに鉄道空白地帯

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