渋谷~六本木間 地下鉄なし なぜ鉄道空白地帯なのか 街の成り立ちから見るその理由
私鉄との直通 道路との兼ね合い 地下鉄が通らなかった理由
渋谷から六本木への地下鉄が建設されなかったのは、上記のことを背景に以下の理由が考えられます。
(1)東急東横線から山手線の内側に向かうには、中目黒から恵比寿経由が適している(渋谷付近で東急東横線は山手線に並行しており、都心方面へ向かっていない)。
(2)戦後計画が具体化した1950年代半ばまで、六本木は繁華街ではなかった。
(3)六本木通りの渋谷~高樹町間(放射22号線)は、前回の東京オリンピックのために開通させたもので、日比谷線計画当時はできていない。
(1)の理由が大きそうですが、(2)、(3)も興味深い点です。
(2)に関しては、六本木の旧陸軍施設が戦後、連合国軍に接収されたため、六本木にはアメリカナイズされた飲食店、商店ができていきます。1950年代後半から、流行に敏感な日本の若者も集まるようになりました。六本木族という言葉が生まれたのもこの頃です。逆にいえば、地下鉄計画がなされた頃までは、六本木は盛り場ではなかったわけです。
(3)は、当時の地下鉄の建設方法と関連しています。日比谷線建設時は、地表から掘り下げていく開削方法が主流で、広い道路の下を地下鉄ルートにするのが一般的でした。シールド工法(筒形をしたシールド掘削機がモグラのように掘り、同時にトンネルの壁も造っていく)が広く採用されるのは、この後に開業する地下鉄工事からです。
もし、渋谷~六本木間が地下鉄でひと駅、ホームも地表近くで便利だったとしたら、「渋谷よりも大人の街」といったいまの六本木の性格が、少し変わっていたかもと想像するのも楽しいものです。
【了】
Writer: 内田宗治(フリーライター)
フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。
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