枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)の記事一覧
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
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鉄道の歴史は「置き石との戦い」!? 最高は“死刑”の重大犯罪なぜする? 呆れた理由で大惨事
鉄道の線路に石を置くのは危険な行為として、最大級の厳罰に問われます。しかし鉄道の歴史を振り返ると、軽いノリから不可解な理由まで、明治以来様々な「置き石」事件が発生してきました。
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乗客も駅員も荒みきった鉄道「暗黒の4年間」の実態 1945~1949 “地獄”は戦後に訪れた
1945年の終戦から約4年間は、生き抜くだけでも必死な、混乱した社会になっていました。その情勢は鉄道内で起きる事件の悲惨さにも表れています。
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「ズル」との戦いの歴史? 鉄道きっぷの「自動券売機」日本第1号は明治か 「機械が正しい」思い込みと落とし穴
鉄道きっぷを買うための「自動券売機」はいつからあったのでしょうか。また、最初の券売機にはどんな機能が備わっていたのでしょうか。進化の過程でさまざまな知恵が見え隠れします。
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まだ怖い存在…明治時代の電車「ビリビリッ!!」事件簿とは 「近所の銭湯へ感電事故」も!?
明治の中頃に日本で初めて登場した「電車」。当時は街じゅうに線路とともに架線が張り巡らされていましたが、当然、感電の危険もまだ強く存在していた時代でした。
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東京最初の鉄道は馬が引いた 年間3300万人が利用「東京馬車鉄道」が20年で消えた”もっともな理由”
明治初期、東京都心の人々の足となった最初の都市鉄道は「東京馬車鉄道」でした。年間3300万人が利用するほど繁栄したこの鉄道、どんな歴史を辿ったのでしょうか。
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国内わずか2例「懸垂式モノレール」は「負け組」なのか? 跨座式との”独仏代理戦争”互角の戦いの歴史
日本への本格的な都市モノレール導入をめぐり、「跨座式」「懸垂式」という全く異なるタイプを採用する、ドイツとフランス、2つの規格の争いがありました。どんな結末を辿ったのでしょうか。
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東京モノレール 謎の”熱海延伸”計画とは ホントは千葉から海沿いぐるり!? 黎明期の「明るすぎる夢」
本格的な都市交通モノレールとして登場した「東京モノレール」。今や日本を代表する跨座式モノレールはなぜここに作られることになったのでしょうか。実はもっと壮大な計画もありました。
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中央線の都心部なぜクネクネ? ビシっと真っすぐにさせなかった「陸軍と地形と世相」
JR中央線の新宿~東京間は、一直線な立川~中野間と対照的に「S字カーブ」でやたらと遠回りしながら東京に到着します。このようなルートになった経緯はいろいろありますが、別ルートの構想も数々ありました。
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東京の「国が見捨てた構想路線」一部復活中!? 明暗わかれた1985年の鉄道計画 “壮大すぎた環状線”も
国の鉄道整備方針の基礎になる「答申」には、策定段階で「不採用」とされた構想路線も多数存在。しかし一部、現在になって再び実現に向け検討が進められているものもあります。
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“TX級”高速新線があちこちに? 国鉄が何度も挑戦した「開発線」構想とは 「通勤新幹線」のなれの果て
終戦時から人口が増え続けてきた首都圏。国鉄はその解決のため、郊外への高速鉄道を何度となく計画し、頓挫してきました。その中で、最終的に実現へ漕ぎつけた鉄道新線があります。