「命を大切にする特攻兵器」が一度も成功しなかったワケ アメリカ的無人誘導爆弾の顛末
中古のボロボロ4発重爆を転用すればコストも安い!
そこでアメリカが考えたのは、体当たり用航空機を離陸させ搭載している爆弾(爆薬)の安全装置を解除する作業までは人間(パイロット)が行い、機内での作業終了後は基地のそばでパラシュート降下して帰還するという、「命」を無駄にしない人間と遠隔操作のコラボ、つまり「人間を誘導装置の一部に組み込む」ことでした。
これは、アメリカ陸軍航空軍と海軍航空隊の双方で計画され、前者は「アフロディーテ」、後者は「アンヴィル」とそれぞれ作戦(プロジェクト)名が付けられます。
1943(昭和18)年末、アメリカ陸軍は体当たりに使用する航空機には、出撃回数の過多で酷使されたり、大損傷を被って修復こそしたものの通常任務には用いることが難しかったりするような4発重爆撃機、ボーイングB-17「フライングフォートレス」やコンソリデーテッドB-24「リベレーター」を充てることを決めます。
これら中古の機体を無人誘導爆弾へ改造するにあたっては、機関銃などの火器や銃架、機体各部の装甲板、操縦席以外の全座席、爆弾ラック、旋回銃座用の駆動装置、そのほか体当たり攻撃に不要な装備すべてを撤去して大幅に軽量化。この状態にしたうえで、積めるだけの爆薬を搭載すると、その量は10tから12tにもなったといいます。
そして、離陸操作と爆薬に対する安全装置の解除が終わり、パイロットが脱出した後の遠隔操作をするために、2つのTVカメラが取り付けられました。ひとつはコクピットの計器類を監視するもの、もうひとつは遠隔操縦のための情報として機外を監視するものです。また操縦装置には、電波で制御する遠隔操縦装置が取り付けられています。
こうして改造された無人のB-17は「BQ-7」と名付けられ、それを誘導する母機で、やはりB-17から改造された「CQ-17」も造られました。
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