「命を大切にする特攻兵器」が一度も成功しなかったワケ アメリカ的無人誘導爆弾の顛末
すべて失敗に終わった「アメリカ流特攻作戦」
一方、アメリカ海軍の「アンヴィル」作戦用には、B-24大型爆撃機の海軍型PB4Y-1が用いられました。とはいえ、改造の方法はB-17をBQ-7にしたのとほぼ同じです。こちらは「BQ-8」と名付けられました。アメリカ海軍が陸軍と違いB-17を用いなかったのは、海軍パイロットが陸軍機であるB-17に慣れていなかったからです。なおアメリカ海軍は、誘導母機にPV-1「ヴェンチュラ」哨戒爆撃機を流用しており、その点でも我が道を行っていました。
なおBQ-7とBQ-8の機内には爆弾ではなく、「トーペックス」と命名された、TNTよりはるかに強力な爆薬が設置されました。とはいえ太平洋戦域には、これほど大きな「無人誘導爆弾」を一気に用いて破壊すべき目標がほとんど見当たりません。一方、ヨーロッパ戦域にはドイツ軍の堅固な各種軍事施設が多数存在しており、特にV1飛行爆弾の発射施設や、潜水艦「Uボート」のバンカー(鉄筋コンクリート掩体)の破壊は急務でした。
そこでアメリカ陸海軍の超強力な「無人誘導爆弾」は、イギリスに展開してドイツ本土やその占領下の地域に対して用いられることになったのです。
しかし、離陸および爆薬の安全装置解除後に機外へパラシュートで脱出するというのは、あまりにも高難度だったようです。人間がかかわる部分でのトラブルで何人ものパイロットが殉職。その中には、後にアメリカ大統領となるジョンF.ケネディの兄、ジョセフ・パトリック・ケネディ海軍大尉も含まれていました。
しかも人的犠牲が多いわりに、遠隔操縦はいまいちで信頼性に欠け、結局、何回かの実戦出撃こそ実施されたものの、1度も成功せずに終わりました。
とはいえ、アメリカは第2次世界大戦後も無人標的機(ターゲット・ドローン)としてBQ-7(のちにQB-17に名称変更)を用いたほか、より大型のB-47ジェット爆撃機までも各種訓練や試験のための無人標的機「QB-47」として転用しているのですから、スゴイとしか言いようがありません。
【了】
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
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