なぜ「常磐本線」ではないのか 延長約350km 「本線の風格」あってもそう呼ばれない理由
路線名の根拠は明治時代にさかのぼる
実は、JR路線の「本線」は国鉄時代の呼称を引き継いでいます。国鉄の路線名は1909(明治42)年、鉄道院によって告示された「国有鉄道線路名称」に基づいています。ここで国有鉄道路線の正式な分類が行われました。
「国有鉄道線路名称」は全国の鉄道路線を23に区分し、主要路線を本線、中小規模の路線を支線としてまとめています。首都圏では「東海道線の部」「中央線の部」「東北線の部」「信越線の部」「総武線の部」の項目があります。これをベースに、新規開通路線もそれぞれの部に分類されていったのです。
例えば現在の「東海道線の部」は東海道本線を主路線とし、山手線、南武線、鶴見線、横浜線、飯田線、湖西線、おおさか東線、大阪環状線などが含まれます。「中央線の部」は中央本線を主路線とし、青梅線、五日市線、八高線、小海線、篠ノ井線など、「東北線の部」は東北本線を主路線とし、常磐線、高崎線、上越線、仙山線、仙石線、北上線、田沢湖線、大湊線などが含まれます。
つまり常磐線は、「東北本線の支線」という扱いでした。起点は日暮里、終点は岩沼と、どちらも東北本線との分岐駅にあります。「東北本線に付属する長大な支線」ともいえそうです。
「国有鉄道線路名称」は路線の廃止や統合によっても何度か改正されました。しかし常磐線の扱いはそのまま。これをJR東日本が引き継いでいるため「常磐本線」にならない。これが「常磐線」の理由です。
上越線や高崎線はどうでしょう。「国有鉄道線路名称」によると、例えばどちらも高崎駅を起点とするのに、「信越本線」に対して「上越線」です。しかも上越線は信越本線の支線ではなく、東北本線の支線に分類されています。高崎線も東北本線の支線です。この理由は、旧日本鉄道が建設した路線をすべて「東北線の部」に統合したからではないかといわれています(上越線で旧日本鉄道が建設した区間は、高崎~新前橋間のみ)。
東北本線は宇都宮線という愛称が付く前から既に黒磯以南は東北線と案内されてましたね。
今でも駅構内やホームの番線看板に宇都宮線(東北線)と併記されています。
東海道本線の東海道線や中央本線の中央線、総武本線の総武線もですけど
その記述がなかったのが残念ですね。
JR九州も本線という呼び方を一時期やめてましたがいつの間にか復活しましたね
「はくつる」「ゆうづる」は共に上野から仙台・青森を結ぶ寝台特急だが、「はくつる」は宇都宮回り、「ゆうづる」は常磐線回りであった。
さらに根本的な原因を考えると、常磐線の建設目的はそもそも「東京から茨城・福島を抜けて仙台へ至る路線」として建設されたというよりは、「東京と常磐炭田を結ぶ路線」として建設されたことに行き当たる。つまり、開業時点では茨城県北部と福島県南部に広がる常磐炭田まで伸びれば良かったわけで、仙台まで至るような現在の規模の路線としては考えられていなかった。
路線としての成り立ちも、最初の開業区間は「小山~友部~水戸方面」だったので東北本線と路線を共有している部分が長かった。「田端(日暮里)~友部」は後に短絡用に作られた新線である。こうした目的と成り立ちが常磐線を支線たらしめているのだろう。
昔、東京から浅川まで行くのが中央線で
新宿から甲府の方へ行く電車が中央本線だと思っていた。