ベンツ生まれ・アルファロメオ製エンジンでドイツ機を凌駕! イタリア名機マッキMC.202

ドイツ製エンジン 日本では手に余るもイタリアは習得

 しかし、MC.202「フォルゴレ」に高性能を付与したDB601A-1型エンジンが、ドイツ製であったことが逆に足を引っ張る形になります。というのも、戦火が激しくなるにつれ、ドイツからの供給が滞るようになってしまったからです。

 そこでイタリアは、自動車メーカーのアルファロメオでDB601A-1型エンジンをライセンス生産させることにします。これによりカタログスペック上は同馬力を発揮できるRA1000 RC41型「モンソーネ」(モンスーンの意)エンジンが生まれましたが、当初はドイツの高い冶金技術や工作精度に追い付けず、不具合が多発して計画どおりに量産できませんでした。

 1942(昭和17)年には、なんとかアルファロメオでのエンジン生産も安定するようになります。その結果、1943(昭和18)年9月のイタリア休戦以降も、ドイツとともに戦争を継続した北イタリアの「イタリア社会共和国」(R.S.I.)でMC.202「フォルゴレ」の生産は続き、その数は各型合計で1150機に達しました。また他国の戦闘機と比べて見劣りした機銃の少なさについても、中期型以降は左右翼内の7.7mm機銃が1丁ずつ増設されています。

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1943年初め、地中海パンテレリア島でタキシング中の第1航空団MC.202「フォルゴレ」。胴体や主翼などはMC.200型だが、液冷エンジンに換装されて機首形状が一新している(吉川和篤所蔵)。

 MC.202「フォルゴレ」は、イタリア空軍が展開したほとんどの場所で用いられました。具体的には、北アフリカ戦線からロシア戦線にかけてで、熟練パイロットが操る機体は「指先で操縦できるほどに軽快」といわしめたほどの高い機動性でホーカー「ハリケーン」戦闘機やカーチスP-40「ウォーホーク」戦闘機を圧倒したといわれています。

 なおこの成功で、より高性能なDB605型エンジン(1475馬力)に更新した次世代戦闘機MC.205型の開発につながっていきました。

 このようなエンジンの換装で性能が向上した例は、日本では旧陸軍の三式戦闘機「飛燕」がよく知られています。こちらはMC.202「フォルゴレ」と同じDB601系の液冷式エンジンを、より大馬力の国産空冷エンジンに換装したもので、これにより生まれた新たな戦闘機には、五式戦闘機と命名されています。これはMC.202とは逆の形ですが、こうした所にも各国の技術的な特性の違いが垣間見えるといえるのではないでしょうか。

【了】

【写真】MC.202「フォルゴレ」の原型 MC.200「サエッタ」

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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