約20年ぶりの東急新駅「新綱島」周辺を歩く 激変する街に残る「温泉」と「桃」の記憶
変わりゆく街にあって変わらないもの
日月桃は1938(昭和13)年の水害で壊滅的な被害を受け、戦争を境に米栽培に切り替わったことで一度途絶えてしまいますが、1998(平成10)年に茨城県つくば市の農林水産試験場に木が2本だけ残されていることが判明。日月桃の品種開発に関わった地元・池谷家で今も栽培され、桃の収穫期間には直売所で販売されています。
桃園から南進し、鶴見川にかかる大綱橋を渡ると、そのたもとに「ラヂウム霊泉湧出記念碑」がひっそりとたたずんでいました。石碑を眺めていたところ、すぐそばにいた不動産営業マンから分譲住宅を案内されました。いわく「新綱島駅が開業するので、人気のエリアなんです」と。新駅にかける不動産業界の期待の高さを垣間見ました。
せっかくなので綱島駅の反対側(西側)へと向かいます。2020年3月、駅に開業した商業施設「エトモ綱島」の横を通過していくと、狭くて交通量が多い東口側に対して、西口側は遊歩しやすい「パデュ通り」が続き、イトーヨーカドーを中心にマンションが立ち並んでいました。低層の1、2階に商業施設が入っているのが特徴です。この辺りもかつての温泉街に位置します。
最後に個人的に気になる場所へ立ち寄ってみました。渋谷方面から東横線で綱島に向かうとき、左手に見える丘陵です。綱島街道沿いに急で薄暗い階段を見つけたため、こわごわ登ってみると、たどり着いたのは簡素な神社「綱島鎮守神明社」でした。綱島に人が住み始めた頃の創建とされ、境内からは日吉方面、その奥に武蔵小杉のタワーマンション群が見渡せました。変貌すさまじい街にあって、きっと変わらないままでいるだろう場所に出くわすことができ、思わず安堵を覚えました。
【了】
Writer: 蜂谷あす美(旅の文筆家)
1988年、福井県出身。慶應義塾大学商学部卒業。出版社勤務を経て現在に至る。2015年1月にJR全線完乗。鉄道と旅と牛乳を中心とした随筆、紀行文で活躍。神奈川県在住。
何度も何度もいうが、東京オリンピックを本当にやりたいなら、今年中はコロナ対策に専念し、無駄を減らした上で、最早でも東急新横浜線の開業と同じ ”2022年度下期” に再延期すべきである。あと、相鉄jr直通は本数、利便性、所要時間、ダイヤの影響から見ても廃止または西谷で全て折り返しにしたほうがいい。じゃないと、ダイヤが乱れたときに遅延が広範囲に影響される。相鉄JRを見ているとオリンピックのために無理やり建設されたとしか言いようがない。