主翼曲げれば万事解決!「逆ガルウィング」戦闘機F4U「コルセア」なぜ傑作機になったか
不具合解消で傑作機へと昇華
結果F4Uは、とりあえず陸上基地で運用される海軍戦闘中隊や海兵戦闘中隊に配備されました。しかし、まだパイロットが本機に慣れておらず、改修も進んでいない時期の1943(昭和18)年頃には、歴戦のパイロットが操縦桿を握る日本機との戦いで、少なくない機数が撃墜されています。
ところが、こういった厳しい実戦での運用実績が開発サイドにフィードバックされ、さまざまな改良や改修が施されるのと並行して、パイロットたちも機体に慣れることでF4U「コルセア」は本来の実力を発揮するようになっていきました。その結果、空母での運用も可能となり、1944(昭和19)年12月から本格的に空母への搭載が開始されました。
この頃になると、F4Uは性能を存分に発揮するようになり、日本機に対して優位に戦うことができるようになっていました。さらに、F4Uは戦闘爆撃機としても使えたことから、艦上機の搭載機数が限られる空母において、戦闘中隊だけでなく、急降下爆撃機部隊にも本機を装備させて機種の統一を図り、戦闘爆撃中隊とする案も推進されています。この点は、まさに今日のF/A-18「ホーネット」戦闘爆撃機の運用に通じる発想といえるでしょう。
最終的にF4U「コルセア」シリーズは、第2次世界大戦後も改良型の生産が継続され、なんと最後の量産機が工場を出たのは大戦終結から8年も経った1953(昭和28)年初頭のことです。
総生産数は1万2571機。この数はアメリカ海軍の艦上戦闘機としては最多を誇ります。それらは、アメリカ海軍や海兵隊のみならず、アメリカの同盟国であったイギリス軍やニュージーランド軍、フランス軍などへも供与され、いくつかの戦争や紛争に参加し、高い評価を受けています。
最終的に中米ホンジュラスでは1979(昭和54)年まで現役だったのですから、第2次世界大戦に参加した戦闘機としては異例の長生きだったといえるでしょう。
逆ガル翼を始めとした新機軸に当初悩まされたF4Uでしたが、結果、それら新機軸があったがゆえに長生きできたともいえるようです。
【了】
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
逆ガル翼に関しては各国で試作されF4U以外全て失敗作となっています。(零戦の堀越二郎氏スピットファイアのミッチェル氏も失敗しています。)F4Uが最終的に成功作となったのは、右翼の折れ曲がり部分に乱流発生用の突起物を追加して失速を穏やかにしたからです。逆ガル翼は生産性の面でも不利でデメリットの方が多かったと言えるでしょう。