パレットタウンも消滅へ お台場どうなる? 再開発&新地下鉄で挫折の歴史は報われるか

二度の挫折 その最中に開業したゆりかもめとりんかい線

 こうして事業化に向けた具体的な検討が始まり、バブル経済真っ只中の1989(平成元)年4月に「臨海副都心開発事業化計画」が策定されます。この計画ではバブルによる地価の高騰、オフィスや住宅の不足を背景に、「21世紀初頭までに6万人が住み、11万人が働く未来型都市をつくる」とされましたが、まもなくバブルは崩壊。地価は大幅に下落し、オフィス需要も低迷。進出予定だった企業の辞退が相次ぎ、計画は修正を迫られました。

 窮地に陥った臨海副都心開発の起爆剤として期待されたのが、1996(平成8)年3月から10月まで開催予定だった「世界都市博覧会」でした。ところが前年1995(平成7)年4月に「都市博中止」を公約に掲げた青島幸男氏が都知事に就任し、開催10か月前に中止が決定します。

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大規模複合施設「パレットタウン」の観覧車(画像:写真AC)。

 ゆりかもめの新橋(仮)~有明間は1995年11月、りんかい線の新木場~東京テレポート間は1996年3月に開業していますが、これらは都市博のスケジュールに合わせたものでした。

 二度の挫折を経て臨海副都心計画は見直されることになり、1997(平成9)年3月に「臨海副都心まちづくり推進計画」が策定されますが、開発は思うようには進まず、2006(平成18)年には臨海副都心開発を担う第3セクター企業3社が破綻する事態に陥っています。

 当初はオフィス街としての開発が想定されていた臨海副都心ですが、1996年に東京国際展示場(東京ビックサイト)開業、1997年のフジテレビ本社移転、そして1999(平成11)年にパレットタウンが開業すると、次第に都心近くの観光地として注目を集めるようになります。

 2002(平成14)年に、りんかい線東京テレポート~大崎間が開業し、JR埼京線との相互直通運転を開始。2006(平成18)年には、ゆりかもめ有明~豊洲間が開業し、交通の便がよくなったことで臨海副都心の開発は徐々に軌道に乗り始めました。

【東京駅発】地下鉄新線のルート図

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コメント

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1件のコメント

  1. そんな地下鉄ができたらTXに秋葉原から座って帰れなくなりますな