B-29より影響大? マッカーサー元帥も乗ってきたC-54輸送機と日本の浅からぬ関係
C-54輸送機と聞いてもあまりピンと来ないかもしれませんが、マッカーサー元帥が厚木飛行場にやってきたときの乗機といえば、絵面が思い浮かぶことでしょう。その原型機DC-4とあわせ、WW2前後を通し何かと日本に縁のある飛行機でした。
日本との関わりは失敗した試作機から
1945(昭和20)年8月30日、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ちました。丸腰でコーンパイプをくわえ飛行機から降りてくる映像は有名ですが、記者に写真を撮らせるためわざとゆっくりタラップを降りたそうです。しかし絵面とは裏腹に、本人はとても緊張していたといいます。
乗って来た飛行機は元帥の専用機、C-54輸送機「バターン号」(2号機)です。C-54は第2次世界大戦期の航空機のなかでもあまり目立たない輸送機ですが、何かと日本とかかわりの深い機体です。
C-54は1930年代にアメリカのダグラス社が、ヒット作DC-3旅客機の後継として開発した、DC-4旅客機の軍用輸送機版です。ややこしいのですが、DC-4には別物の2種類の機体があります。
最初のDC-4はダグラス社初の4発(エンジン4基搭載)旅客機として開発され、1938(昭和13)年6月7日に初飛行しています。しかし旅客機としては大型すぎてエンジンパワー不足、構造も複雑で整備が難しく故障が頻発しました。形式証明は公布されたものの実用性に欠けるとしてエアライン会社には売れず、1機だけ作られた試作機も失敗作とみなされて、試験機を意味する「E」を付与されDC-4Eと改称されます。
そして当時、4発陸上攻撃機の開発を目論んでいた日本海軍が、どういうわけかこのDC-4Eに目を付け、大日本航空名義で購入します。機体は霞ヶ浦の海軍施設に運ばれて分解研究され、日本初の4発陸上攻撃機「深山」の参考用となりますが、アメリカのエアライン会社でも手に余るような複雑な機体が、工業力に劣る日本で物になるはずはありませんでした。しかし、この経験が後の4発機「連山」開発に反映されていきます。
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