ブルートレインのクルーを解放した“オール電化”食堂車「ナシ20形」 超繁忙の在りし日々
初めての実用的な電気レンジを採用
前述したように、当時の寝台特急は人気列車でした。ナシ20形は直前に登場したオシ17形と同じく、車体幅を広げて食堂定員を30名から40名に増やしていましたが、それでも列車の発車前から食堂車に行列ができたほど。東京駅を18時30分に出発した列車でも、19時40分くらいまで食事できないほど盛況だったようです。
行列が日常だったため車端部には待合所が設けられており、2等寝台(現在のA寝台)に匹敵するソファも備わっていました。このソファは夜間には、従業員用の寝台になったようです。
特に東京発の下り寝台特急では、食堂車は戦場のような忙しさだったそう。とりわけ冬は手間のかかるカキフライなどが続々とオーダーされるものの、当時のフライはラードを融かして油にしていたため、その用意も大変だったようです。あまりの人気に、営業開始前からステーキを20人分焼いておき、後から加熱して提供することも行われていました。
この調理を支えていたのが、オール電化された厨房でした。それまでの食堂車は石炭レンジなので、点火が大変なだけでなく煙突掃除も必要でしたが、ナシ20形の登場によりクルーはこの重労働から解放されたのです。車内で直火は危険なので、電熱線を介する電気レンジや電気オーブンが備えられました。なお電気レンジ自体は1950(昭和25)年製作のカシ36形で試行されましたが、実用性に欠けるとして1953(昭和28)年までに廃止されたので、ナシ20形が初の実用的なオール電化食堂車といえます。
列車が急ブレーキをかけた時は、シェフは火傷するのが当たり前で、材料が飛び出さないように冷蔵庫の扉を抑えたそうです。ウェイトレスは乗客に「お皿を抑えてください」と呼びかけたとのこと。なお、ナシ20形は側窓が大きかったので、厨房内からでも車窓がよく見えたとのことです。
電気レンジの採用はカシ36が最初ですね。