国鉄の基幹路線になるはずだった? 「阿武隈急行」完成まで25年の紆余曲折 またも地震被害

阿武隈川 ミニSL ロケット…… 沿線は見どころいっぱい

 現在、もはや阿武隈急行線に東北本線のバイパスという役割はなくなりました。しかし、沿線の人々の通勤、通学路線として活躍しています。2019年度の統計によると、輸送密度は1456人/日。これは令和元年東日本台風による不通区間の影響で下がっているようです。その前年までは1700~1800人/日で推移していました。いずれにしても、丸森線時代の輸送密度1082人/日を超える数値です。開通させて良かった路線と言えそうです。

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車窓からH2ロケットのレプリカが見えた(杉山淳一撮影)。

「乗り鉄」にとっても阿武隈急行線は楽しい路線です。車両を見ると、主力の8100系電車はセミクロスシート。そして片側2扉のためボックス席が多め。汽車旅気分を楽しめます。次期主力車両として増備が進むAB900系電車は片側3扉のセミクロスシート。ボックス席はちょっと減りましたが、大きな窓で眺望良しです。全線が立体交差になっているため、市街地区間も見晴らしが良く、遠くに奥羽山脈や阿武隈山地を望めます。

 沿線の見どころのひとつは「やながわ希望の森公園」。2000本以上の桜の名所です。アクセスはやながわ希望の森公園前駅(福島県伊達市)から、ミニSL「さくら1号」で数分です。

 ほかにも旧丸森線区間の角田駅(宮城県角田市)付近で、車窓からH2ロケットの原寸大レプリカが見えます。これは「角田市スペースタワー・コスモハウス」。JAXA(宇宙航空研究開発機構)の角田宇宙センターにちなんで作られた展望台兼見学施設です。

 紆余曲折を経て、今の姿になった阿武隈急行線。間もなくの全線運行再開が楽しみです。

【了】

【阿武隈急行線の前身】「国鉄丸森線」時代の写真

Writer: 杉山淳一(鉄道ライター)

乗り鉄。書き鉄。ゲーム鉄。某出版社でゲーム雑誌の広告営業職を経て独立。PCカタログ制作、PC関連雑誌デスクを経験したのち、ネットメディアなどで鉄道関係のニュース、コラムを執筆。国内の鉄道路線踏破率は93パーセント。著書に『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。日本全国列車旅、達人のとっておき33選』(幻冬舎刊)など。

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1件のコメント

  1. 私のふるさと丸森町。旧丸森線は1日5往復で、日本一の赤字路線だったと記憶しています。故郷を離れ東京にいましたが、丸森線が阿武隈急行と名前を変え、丸森駅から福島駅まで開通したときはとてもうれしかったですね。地元では親しみを込めて阿武急と呼んでいます。丸森町の「阿武隈ライン舟下り」はこたつ舟がありマスコミに取り上げられました。不動尊公園キャンプ場も人気があると思います。震災や台風など阿武急も丸森町も被害を受けましたが、その都度頑張って復興を目指しています。頑張れ阿武急、頑張れ丸森町。